2008年08月10日

家族が増えました


鬱を克服された喜屋武さん

瑞慶覧さんと名付けられた一匹の(ボス)シクリッドが、城間さん、喜屋武さんと呼んでいる弱小シクリッドを虐めまくってたわけさ。最近なんかその二匹が水槽の隅のほうで倒立したり天を仰いだりしてからになんか空ろで鬱っぽくなっててでーじ心配だったから、水槽も広いことだしってことで新たに7匹のベイビーシクリットを投入してみたわけ。

瑞慶覧さんはちょっかいを出さないといけない人が増えて忙しくなって、城間さんも、喜屋武さんも自分に降りかかるアタックが一瞬で減少したから朝とは比べ物にならないくらいニコニコ泳ぐようになってるわけさー。ベイビー達は無邪気に鬼ごっこみたいに瑞慶覧さんに追われてからなんかバランスいいかもって思って嬉しー。

前は(沖縄系ペルー人っていう設定で)アントニオ具志堅、マリオ玉城というプレコも買ってたんだけどご飯なかなか食べてくれなくて死んでしまったわけ(涙)。このベイビーたちはたくさん生きるといいなー。また難儀だけど名前付けてから覚えよー、お勧めの名前とか付けて欲しい名前とかあったら教えてねー。ちなみに全員男だからさー。

してからさ、前からずっと欲しかったガラスの丸い器と小さいアカヒレ10匹も買ってもらったわけ。この中に水生植物入れたらハイドロテラリウムさーねー。いつも勉強するデスクに置いたらしに可愛いってば。ペットショップの植物は高かったから買わんかったわけ、明日くらいにメイクマンとか行って上等植物買ってこよーっと。





ここから先はなんか色々怖い放射能の話。




被爆現場で保安検査官に説明する技術者

・長崎63回目原爆の日
 ヒロシマの次は長崎の原爆の日。中学の修学旅行で資料館に行ってあのスタチューの前で写真取った。戦跡や平和資料館には慣れているうちなーんちゅの私だけど、長崎の原爆資料館はとっても怖くて泣きそうになりながら展示物を見た覚えがある。そういえば日本人なのに核保有論とか唱える政治家がいるけど、ああいう人たちってヒロシマ長崎とか行ったことあるのかな。長崎出身とかだったら怖いけど。原爆は過去の惨事じゃなくて、今も、63年経っても現在進行形で被爆者は苦しいんだということを核保有論者達は知るべきだと思う。

・米原子力潜水艦の放射能漏れ
 米原子力潜水艦ヒューストンの放射能を帯びた冷却水が佐世保基地や横須賀基地や沖縄のホワイトビーチで漏れていた。ごく微量で問題ないというけどじゃあ何故隠していたんだろう。そして何故在沖米領事のメアは「事故ではなく人体や環境にも影響はないが、透明性を確保するため日本政府に連絡した」と堂々としているんだろう。分かっていて振りまいていたらテロだけど、漏れていたのだから事故でしょう、そして「米海軍の安全基準がきちんと機能していることを示すものだ」といいながら放射能漏れの時期は明らかにしないって言うのはやっぱ気持ち悪いよ。

・原発燃料工場の被爆事故
 原発の燃料製造会社「グローバル・ニュークリア・フュエル・ジャパン」(神奈川県横須賀市)工場内で、ウランを含む溶液が飛散し、男性作業員(57)と放射線管理課員(52)が被爆した、タンク下部のバルブの閉め忘れっていうミスで。周辺への放射性物質の漏洩はないというけど、この会社は7月にも同じ事故を起こしているわけ。CO2を出さないからエコとか言って原発増やしてるけど、本当は全然環境に優しくないし、その上地震大国日本だからチェルノブイリみたいな惨事になる可能性は消すことはできないでしょう。加えて人為的なミスが連発というレベルっておかしくない?原発は安全って言った人出て来い。





ここから先は泡瀬干潟の話。




泡瀬干潟の座り込みテントの様子

論文の締切期限が迫っていてなかなか泡瀬干潟の座り込みテントに行けないでいたけど、昨日の夜は沖縄市で番組制作の打ち合わせがあったので小一時間程顔を出してきた。座り込みの場所は埋め立ての為に仮に造った道路で、本当は市は使用期限を過ぎたら原状回復しないといけないのに、もう8年もそのまま使ってるんだって。そこを突っ込まれると困るから座り込みメンバーに対してテントの撤去勧告を迫れないらしい(笑)。しかも守る会は使用許可申請を出しているんだけど、当の市はそこに工事の看板とかトイレとか置いてあるけど土地の使用許可や原状回復を約束する契約を交わしていないらしく、今更出遅れ申請もできないのですごく困ってるとか。お役所仕事ってこういう時に自業自得って感じだよね。いろんな書類も誤字脱字から始まって事実関係とあわないことまで、たくさんミスがあってそれをいちいち賢い座り込みメンバーが指摘するので、沖縄市役所は今もう本当にあわてぃーはーてぃー大変なっているらしいです。

でもそれでも毎日(土日もお盆も関係なしでやるそうですよ)ダンプカーが入ってきてはサンゴや貝やその他のたくさんの生物の上に土をかけて生き埋めにしているわけ。座り込みするくらい泡瀬の干潟や海が好きなメンバーにとっては目の前でそういう光景をみるのって本当に辛いだろうな。そうそう、道路から干潟に入る狭いゲートの前を人が行き来するとその間ダンプカーは入れないので、歩行者が多いと土砂を山盛りに積んだダンプカーが予定していたより少ししか入れなくなるらしいー。朝ウォーキングしてる人は是非ゲートの辺りを往復してみてはいかが?写真が趣味の人は干潟をバックに勇ましく土を運ぶダンプカーの写真を撮ってみてはいかが?犬のお散歩の人は海見ながらジョギングするのもいいんじゃない?子どもと散歩に出かける人は特にゆっくりペースで歩けるし、「ああそっちに行っちゃだめよ」という具合にゲート付近でウロウロできてキュートだしお出かけしてみてはいかがですか?

新聞が書くみたいに「阻止行動」って言ってしまうとなんか怖いんだけど、泡瀬のゲートにはでっかいカラフルなカニさんのオブジェがあったり小橋川さんの美しい写真が飾られていたり本当にアーティスティックで気持ちいいよ。エコ系のイベントという感じ。勿論海辺だから風もいいし、潮の香りも素敵だし、道向かいにはサンエーもあるから弁当かってゲート付近で海を見ながら食べるというのもいいかもしれないでーす。後、夜も最高だよ。ウクレレとか持って行って練習するというのもいいと思った。


そうそう署名。どんどん集まってきているみたい!
まだやっていない人で興味のある方は是非どうぞー!!
泡瀬干潟を守るための署名
ウェブ署名 http://www.shomei.tv/project-97.html
紙署名   http://www.awase.net/maekawa/shomei.pdf
泡瀬干潟を守る連絡会HP http://awase.net/maekawa/sinindex.htm   

Posted by shinakosan at 04:16Comments(2)TrackBack(3)本日のshinakosan

2008年08月07日

立秋の七夕

太陽暦では立秋、「暦の上では秋」 とはひどい、まだでーじ暑いのに。

最近旧暦が気になる、沖縄手帳を見たら今日は七月七日、沖縄に合ってる感じ。

沖縄の七夕は墓掃除の日、「ヘーベートメンソーリヨー」と、盆前の挨拶する日。

昨日で広島原爆投下から63年、去年は被爆者5302人が亡した、被爆者の高齢化は進む。

福田は言った、「国際社会において責任ある役割を」と、広島でのアメリカ追従宣言。

原爆の日の翌日も、癌や白血病に苦しんでいる人がいる、毎日と戦争が繋がってる。

原爆手帳が行き届いたら良いのに、早く病が治ると良いのに、ノーモア・ヒロシマ。

今夜は立秋の七夕、昨日ちっちに頂いた大好きな糸満ワイン、飲んじゃおう。

天の川で二人が出会う、私の願いは一つだけ、ノーモア・センソウ。   

Posted by shinakosan at 15:15Comments(4)TrackBack(0)本日のshinakosan

2008年08月06日

『戦争とYFU』

昔々、1998年くらいの話、
あれは確か日本がFIFAワールドカップ初出場を遂げた年、
私は、ある一人の少女の悲劇が元でこの世に生まれた奨学金をもらい、
YFU(Youth For Understanding)という国際交流団体を通じてアメリカに行きました。
YFU-JAPANは今年で50周年だそうです、私は記念誌に寄稿しました。








『戦争とYFU』

YFU41期生   shinakosan  
派遣先国アメリカ(1998-1999)

 1995年、沖縄で衝撃的な暴行事件が起こりました。沖縄に駐留するアメリカ海兵隊3名が12歳の小学生を拉致・強姦した事件です。その事件の後、大田元沖縄県知事と橋本元総理大臣そしてクリントン元大統領が協議し、YFUを通して沖縄の高校生を国費で米国留学させようというプロジェクトが発足しました。私はその国費留学の第一期生です。

 沖縄に生まれ育つ私たちにとって、アメリカとはアメリカ軍のことです。63年前の沖縄戦から続く米軍の沖縄占拠の光景は、私にとってはごくごく当たり前のものでした。フェンスに挟まれた国道をドライブし、ビーチで米兵にナンパされ、戦闘機が通るたびテレビの画像が乱れ、軍人が学校に来て英語を教えるという風景の中、私は育ってきました。

 しかし、95年の事件をきっかけに何かが変だぞと感じるようになりました。私たちがアメリカナイズだと思っていることはもしかしたら軍事化なのかもしれないと思いました。そんな折国費留学生の募集があり、YFUに出会いました。YFUの創始者アンドレセン博士の、「第二次世界大戦終了後、敵国だったドイツから高校生を米国に招き若者の異文化交流から国際平和を模索する留学制度をスタートさせた」というエピソードを読み、「日米と沖縄が戦後と向き合うには、この方法が適しているのではないか。そしてこれは最も私に相応しいチャンスなのではないか。」と感じました。一か八かの受験の末、私は運良く一年間の米国留学の切符を手に入れたのです、1998年のことでした。

 高校生の私は、沖縄と同じくらい蒸し暑く、大きなゴキブリが出没するルイジアナという州に派遣されました。パパママと呼ぶと怒りだす若い夫婦と、私が帰国するまでには桃太郎を暗唱できるようになった3歳のホストブラザー、そして大きなシェパード犬の家族となり一年を暮らしました。フランス開拓地ニューオリンズの街並みや、魂を揺さぶるジャズ、ほっぺの落ちるケイジャン料理、そしてあの、けだるく魅力的な長母音、そう、大好きなルイジアナのアクセント!勿論、ディープサウス特有の内向的で排他的な人種差別の名残を感じて戸惑う場面も多々ありましたが、私はルイジアナの虜になりました。
 
 アメリカの生活で一番衝撃的だったのは、殆ど誰もが沖縄について、沖縄の2割を占める米軍基地について知らないことでした。けれどアメリカ史の先生は、「私たちはラッキーなことに沖縄の大使と共に学んでいる」と冗談を言い、教科書に少しだけ乗っていた「沖縄戦」の記述を発展させ、私にプレゼンテーションの機会を与えてくれました。私はできるだけ丁寧に、ホストしてもらっているアメリカという国を罵倒するのではなく、アメリカ人が知らされていないアメリカについて、沖縄の現状について紹介しオーディエンスが活発に意見できるような空間を作れるように注意を払いながら発表しました。「知らなかった」「私のお父さんは軍人だけどレイプなどしない」「何故沖縄はもっと声をあげないの」「私に何ができますか」「でもアメリカは日本を守っている」、様々な感想が私に寄せられました。私は、話を聞き反応してくれたクラスメイトが大勢いたことを本当に嬉しく思いました。
 
 帰国して10年、私はその間8年のリターニー活動とさらに2年の留学を経験しました。沖縄の状況は変わりません、しかし、戦争や米軍基地から発生する問題について、以前よりも話しやすい環境ができているのではないかと感じています。人権や環境問題に繋がる大事な問題について語れる「自信」と、戦いではなく繋がり話し合うことで問題解決ができるかもしれないという「希望」をYFUは私に与えてくれた様に思います。

 「百聞は一見にしかず」という言葉の通り、見た方が分かることが世の中には数多く存在します。これからも多くの若者が自らの目で世界を見つめステレオタイプを逸脱し、その一歩先を歩めるようなそんな国際交流が続いていくことを願っています。
  

Posted by shinakosan at 15:06Comments(7)TrackBack(0)本日のshinakosan

2008年07月30日

ジェンダラスシンポジウム

ジェンダラスシンポジウムについてなかなか書けなかった。
でも書いてみようと思う、忘れないために。私が学んだこと、私の体のリアクション。
『鍵括弧』内はシンポジウムで拾ったワードやフレーズやセンテンス。
矢印の後ろは会場で話されていたこと+私の思ったこと。



第一部:学生のパネリストの皆さん

『セクハラがあるはずがない、という前提がキャンパスにはある。』
→たしかに、「あの先生はいい人だから」という理由で一次資料を見ずしてセクハラのあるないを決める現実がアカデミアの世界なのにある。ソースも確かめずに権威を信用するという姿勢は大学生としてよくないと思う。そしてこれには以下のイメージが絡む。

『教授をたぶらかす女学生』
→なぜセクハラという言葉を聴いただけで上記のイメージが湧くのか。昔はセクハラと言うとコピー機を使う女性会社員のお尻を撫でるエロ男性上司イメージだったのに、いつの間にか、モニカルインスキーが着せられている「したたか女」のイメージが刷り込まれていやしないだろうか。声を上げる被害者の声も聞かずしてセクハラをステレオタイプする用意がキャンパスにはできているのかもしれない。

『しかし被害者にモラルを着せる、純潔を押し付けるという現実もある』
→米兵によるレイプ事件でもそうだけど、被害者が少女や処女やいいとこのお嬢さんだったら「純粋無垢」あるいは「いたいけな少女が」という言葉で飾ってシンボル化する、本来、レイプやセクハラの被害にあった女性が売春をしていようが中年であろうが目を向けるべくはその犯罪や被害者の声そのものなのに、被害者を美化しシンボル化することによって話をナショナリズム的な何かに摩り替えている。このことは洪ユン伸さんの論文にも書いてあった。

『被害者だけがセクハラを定義する権利がある』
→という声に対して間をおくことなく投げかけられる「被害者になりすまして男性を貶めようとしたらどうする?」という質問がある、それは被害者が声を上げにくい現実をまったく無視する暴力的なもの。家族や人間関係、メディア、警察、裁判のそのプロセスを全部すっ飛ばして加害者を守ろうという意識から生まれるものではないか。

『被害者主義の物の見方は加害者のためのものでもある』
→セクハラを自覚していない加害者も多く、何がセクハラなのかという定義がない以上、アウトと思ったときにそれをシェアできる環境作りを双方が働きかけて作れるようなのが理想的かもしれない。

『加害者意識のない権力を持った加害者、
言えない、言いたくない被害者、
無視を決め込み自己防衛をする第三者。』

→これが今の日本の大学の現実に一番近い状況だろう。

『完全な教授、不完全な学生』
→うまく語りきれないことを口ごもるのが学生で、様々な事象をうまく言えるのが教授ということはないか、不完全からの脱却と「完全なもろさと不完全な強さ」を模索するのがいい、だから発言していくことにパワーを宿らせる。


『キャンパスのことであってもメディアを通してしかしることができない。』
→法の言語、あるいはメディアの言語という男性的な視点で手に入れた言語を通してしか事件のことに触れることができない、限られた情報からジャッジを迫られてはいないか。


『蜘蛛の巣のようなネットワークを』
→「私は被害にあった」という学生に対し、権力側に立ち「考えすぎじゃない」というか、自己防衛をして「信じられない」といい場をやり過ごすか、あるいは「最悪じゃん」と言って手をとるか、どのようなつながりを作っていけばいいか。

『なぜそもそもセクハラをマスコミや裁判に訴えないといけないのか』 →答えは、加害者との間の対話に可能性がないから。本人や大学に直接訴えても改善されないから。しかし法が必ずしも被害者を守るとは限らない。きっかけになった事件も「男女関係があった」といいセクハラを認めなかった。裁判のその判断は「男女関係があるならセクハラも仕方ない」と読める。DV法がある国の判決とは思えない。



第二部:教員+社会人パネリストの皆さん

仲田さん
『裁判で法のルールの下で戦うあるいは語らう意外に方法はないのか。』
→被害を訴えて女性化される被害者がシンボル化されるのは、被害者の声が通っていないからではないか、裁判以外の場所でも語られるべきだということ。被害者に対する誤解を避けたい。

新城さん
『自分自身に対するセクハラ、暴力』
→「思わずやってしまったと」語る男性課長補佐(54)が男性部下(22)の長髪に火をつけたという事件に現れるように、男性性は他の男性に支持されないと確立できない、すなわち加害者にとって長髪の部下は男性性を脅かす存在であり、男らしさを女性的なものを排除することで獲得しようとしたのではないか。それは、男性性が欲する女こどもを支配したい欲求が叶わぬことから引き起こる家庭内暴力や、女性性と関係の深い拒食症や、不安定な自己の性をとりとめるためにゲイの少年が自分自身に対して発動するリストカットとつながる。

『男性原理で構成されるキャンパス』
→確かに教授会も事務も男ばかりそもそもヘルシーじゃない。さまざまな権威がはずされてまともになっていく社会においても、「教授」という仕事にだけは権威を与え続けている現実がある。

安部さん
『合意とは、権力からの押し付け以外の何物でもない。』
→「だって君だって合意したじゃないか」というのは日米安保と同じ構図。「これは強制じゃないからね」ということを確認しないといけない権力者が取るポーズ。「嫌だ」「合意してない」という声は「未来の自分を取り戻すための声」。呼びかけられている社会はしっかり受け止めて返していかないといけない。可能な限り被害者の立場に寄り添いたいという姿勢。

『私は声を上げられない。というのはすでに抗議の声。』
→しかし、声を上げられないという被害者に寄り添う第三者や支援者が被害者をかわいそうだと見ることで「声を上げさせない」社会を作っていないか。声を聞かない社会に問題があるとすれば、では、どう寄り添うか。「私も戦っています、共に」という立場。被害者という言葉が持つ「弱者」「欠陥」「可哀想」という位置づけを転換し「政治的社会的声が上げられる豊かな権利を持つ自分」「私は抵抗しているものですということを社会に示す大きなチャンス」という風に表現できやしないか。

井上さん
『正義の要求が矮小化される社会で生きること』
→キャンパスにおいて「セクハラはだめ」ということを規律化させ「ポリティカリーコレクトでないからやらない」あるいは「セクハラをしないほうがエクセレントだから」と言い、中身が伴わぬ空虚なルールを作っても意味がないのではないか。

『サービス消費社会化するキャンパス』
→エクセレントを求めて教員評価制度などでセクハラフリーキャンパスを作らせる雰囲気がある、そのとき学生は資本主義経済のお客様に成り下がる。



会場からの声:
『私が介入していいのか、どこまで介入できるのかという問題がある』
→一緒に怒るチャンスさえ奪われるという事態は確かにある、それは被害者のプライベートに介入してしまうというものとはまた別の社会的差別だといえるかもしれない。あるいは当事者主義的領域かもしれない。しかし当事者とはいったい誰か、セクハラを知った被害者や加害者ではない「私」は当事者じゃないのか、ということも考えなければならない。






これは、一部、二部が独立して別々にやっていたら全然違うものになっていただろうと思う。学生と教員+社会人、双方が手をとり議論を重ね共に開いたからこそ意義深いシンポジウムになったのかもしれないと、今改めて思う。あまりお手伝いができなかったことが本当に悔やまれるけれど、私の知っている人たちがこの様な非常に質の高いシンポジウムをこの社会に提供してくれたことが本当に嬉しい。

この日から私の中の「アウト」センサーが敏感に稼動していて、会話の中でどこに「アウト」を示せばよいのかだんだんとわかるようになってきた、セクハラを温存しない社会、セクハラに苦しまなくていい社会になるために、「私」はどういうアクションをするか、まだまだ気がつくだけでムカついたり、溜め込んだり、パートナーの方に愚痴をぶつけたり、そういうことしかできていない「私」だけれども、社会とこれからも関わっていくのだから「私」の中で何が「アウト」で誰にそれを知ってほしいのか、生きていく中でもっと積極的に考えて行動していきたいと思った。



以下はリンク:
「メディアに紹介されたジェンダラス・シンポ」
http://okinawaforum.org/disagreeblog/reports/
「キャンパスセクシャルハラスメントに合意してない」
http://okinawaforum.org/disagreeblog/2008/07/post_65.html
  

Posted by shinakosan at 14:37Comments(0)TrackBack(0)本日のshinakosan

2008年07月15日

アメリカ先住民の子どもたち

BOOK REVIEW


アメリカ先住民の子どもたち―父さんは太陽、母さんは大地
アーリーン・B. ハーシュフェルダー (編集), ビヴァリー・R. スィンガー (編集),
Arlene B. Hirschfelder (原著), Beverly R. Singer (原著), 愛川 信子 (翻訳)
明石書店 (1997/03)



「ネイティブオキナワンの私」
というアイデンティティを語りたい私にとって、
ネイティブアメリカンの子どもたちが書いた、
その全ての一つ一つがいちいち涙が出るくらいに感動的だった。
訳の仕方からしてきっとこれらは、
英語で書かれたものを和訳したのだろう。
ネイティブアメリカンの子どもたちは、
ネイティブオキナワンの子どもたち同様に、
ネイティブの言葉を話せない。
言葉、祈り、衣装、習慣、思想、思考、
動植物、土地、夢、歴史、身体。
そういうものを取り上げられた私たちネイティブの子どもたちは、
それでもネイティブネスを欲しいと思っている。
完璧に出来ない誰かの真似をして生きることに、
恐ろしいほどの息苦しさを感じている。
私が私のネイティブネスを手に入れられるのはいつだろう。
  

Posted by shinakosan at 04:16Comments(7)TrackBack(0)本日のshinakosan

2008年07月15日

ガソリン

私が免許取立ての頃、
ガソリン安い合戦があった頃、
1㍑=68円で入れた事があったけど、
今日なんとガソリンは、
1㍑=181円になっていた!!
時給は1円たりとも上がっていないのに!!
アルバイトで生計を立てている私、
こりゃーもう大変な事態です。
バス通学とバス通勤すると、
実は、もっとお金がかかるし、
バスは時間が不規則で微妙だから、
退学や解雇される可能性がある。
どうすりゃーいいんでしょうか。   

Posted by shinakosan at 02:49Comments(0)TrackBack(0)本日のshinakosan

2008年07月14日

蓮祭り

東南植物楽園蓮祭りというのをやっておりました。


朝のひと時をすっごく贅沢に過ごしてしまいました。
本当は1000円もする入場料金ですが楽園会員になると800円、
だけどランチブッフェをするなら入場料とランチ合わせて1365円なので、
ランチタイム前後に行くならそっちの方がいいと思います。
子育て支援新マミーベイビープランというのがあるそうで、
0歳~3歳のベイビーとそのフェミリーは入場無料になるらしいですよ。

それにしても20年ぶりくらいに行きました東南植物楽園。
小学生のころは近くに住んでいたので、よく来てたんです、
キョンシーが来沖した時のイベントもここだったと思います。

さて、蓮祭り。


椰子に囲まれた池の中を埋め尽くす、睡蓮、蓮!
睡蓮は水面にぷっかり浮かんでいて葉は水を弾きません。
蓮は水面からにょっきり茎をのばしていて葉は水を弾きます。


バンの親子が睡蓮の葉の上や横で楽しそうに遊んでいました。
トンボも蝶も蜂もヤゴも鯉もおたまじゃくしも毛虫も蜘蛛もいました。
蓮のジャングルの中をゆったり散歩するのはとっても楽しかったです。


蓮を一通り満喫した後は、園内をぐるりと散策。
私の庭にあるアセロラやクロトンやブーゲンビリアや月桃やハイビスカス、
おばーちゃんの家にあるシークワサーやバンシルーやパパヤーやバナナ、
当たり前に知ってるそれらもそういえばだんだん都会から姿を消しています。

道に生えていてよく見るのに名前を知らない草木の名前を覚えたりもしました、
そうやって草木の名前を意識しながら歩いていると、
日常の私がいかに自然を無視した生活をしているかが分かります。
私の人生にはさほど必要もなく実際に見たこともない芸能人の名前は知ってるのに、
毎日私に新鮮な酸素を提供してくれるあの草木の名前を知らないなんて。

名も知らぬ木々をどんどん切っては道路を作るのも(高江にヘリパッドを作るのも)、
もしかしたら自然と無関係だから出来ることなのかもしれません。
私にひ孫が出来る頃には東南植物楽園に行かないとデイゴが見られない、
とかいう時代になったら嫌だなと思いました、そういうの怖いですよね。
今からどんどん草木の名前を覚えて、自然と密接な関係性を作って生きたいです。

そういえば、東南植物楽園のブランドBocca・Shushuというのがありました。
すごくキュートな藍染で、紅型の基となった中国の伝統工芸で作っているそうです。
中国文化を上手に取り入れて作った沖縄のデザインをもう一度中国に持ち込み、
中国と琉球の職人の手で現代人が「懐かしい未来」を着こなせるように、
一つ一つ丁寧に手間をかけて作っているそうです、確かにそういう香りです。
お値段は確かに高いけれど、いつか着てみたいなぁと思いました。

そうそう。東南植物楽園といえばやっぱりアレですよね。


ぎゃー、20年前と変わらずアグレッシブな鯉。芥川龍之介の蜘蛛の糸?
確か蜘蛛の糸のお釈迦様は蓮に乗っていたと思います、蓮繋がりですね。   

Posted by shinakosan at 13:34Comments(6)TrackBack(2)本日のshinakosan

2008年07月08日

チョーチカ、チョーチカ、チョーチカ

今さっき地震だった、震度3でもでーじ怖かった。

みんな、地震の時には
チョーチカ、チョーチカ、チョーチカと言おう!


大きな地図で見る

浦添の文化財散歩によると、
「昔、首里から浦添への街道の途中に妖怪が出没して人々を困らせていました。この妖怪を退治するために、1524年に日秀上人が、お経を小石に書き写して埋め、その上に「金剛嶺」と彫った石碑を建てたといわれています。経塚のことをチョーチカと呼びます。地震の時には、チョーチカ、チョーチカと唱えると被害にあわないと信じられています。」
だそうです、私は3回唱えると聞いたんだけど、2回でいいのかねー?  

Posted by shinakosan at 17:49Comments(4)TrackBack(0)本日のshinakosan

2008年07月06日

シンポジウム「軍隊、そして私たち」





あなたは どう つきあいますか?
という副題を引っさげて、
やってきますよ、高里さん、ダグラスさん、そして
アレン・ネルソンさん!(この方を実際に見てみたかった!嬉しい!)
これは、行かなきゃ!!!






シンポジウム「軍隊、そして私たち」

2008年7月6日(日)午後6:00-8:30
沖縄キリスト教学院大学チャペルにて
参加費 大人500円 学生300円 18歳以下無料
司会:佐藤学(沖縄国際大)
通訳:新垣誠
パネリスト:
アレン・ネルソン
高里鈴代
ダグラス・ラミス


生まれたときからそこの島にある米軍基地。
私たちが入れないフェンスの中で、
‘彼ら‘は何をしているのだろう?
なぜ事件はくり返し起こるの?
今年二月の中学生暴行事件の軍法会議判決が
‘3年‘ってどういうこと?

ベトナム戦争で戦った元海兵隊のアレン・ネルソンさん、
ダグラスらミスさんと、
軍隊の暴力性を告発し続けている高里鈴代さんの
三人を囲んで、
一緒に沖縄のこれからを考えてみませんか?
  

Posted by shinakosan at 10:34Comments(8)TrackBack(0)本日のshinakosan

2008年07月04日

ルンルンちゃんと困ったチャン

昨日のルンルンちゃん。


①高江から帰ってきたアベさんからいただいたナーべーラーをンブシーにした。
 ちょっと豚肉と豆腐の分量が多すぎたけど美味しかったー!
 私は夏はナーべーラーとゴーヤーばっかり食べて生きてます。


②乙女心をくすぐるオリオンサザンスターのプレゼント。しかもいっぱい!
  私が喜ぶポイントを抑え続けるあの方の努力に脱帽!
  「shinakosanますます青に夢中!」オリオンビールのCMに出たい!


③噂のジェンダラス(ジェンダー+デンジャラス)Tシャツ。
  これ着た人たちで集まって図書館前でランチした。セクハラフリーなキャンパスを!
 Open mouth to uncover taboosのシンポ情報を後で提供しますね。


 

昨日の困ったチャン。~これだから産経は!!


http://sankei.jp.msn.com/culture/academic/080702/acd0807020254000-n1.htm

【断 さかもと未明】秋葉原事件の「男性性」
2008.7.2 02:52
秋葉原で、無差別連続殺傷事件が起きた。容疑者の内面が掘り起こされていくほどに、「どうしてそんなに弱いんだ、どうしてそんな理由で人を殺せるんだ」と思わずにいられなかった。加藤容疑者は救いがたく孤独で攻撃的だ。女性に対する飢えがあり、信じがたいほどに精神が脆(もろ)く、ひとつの考えに凝り固まってしまいがちなことも含め、『男性性の暴走』ともいえる事件だと感じた。

男性は、内面に攻撃性を秘めた生き物だ。また、女性に比べ、実に心が弱く、女性が男性を求めるよりはるかに強く、男性は女性を求めると、私は今までの人生で感じてきた。それをきちんとした男に仕上げていくためには、女性に対するよりはるかに厳しい教育、身体の鍛錬、自制心の獲得、強く成熟した男性とのコミュニケーションが必要なのだと痛感する。そしてそれを外側から支えるのが、女性の愛なのではないか。

しかし、最近の男女平等教育は、〈男性〉というものを制御し、伸ばす知恵をもたない。「中性的」なことを価値として、結局は骨抜きの男と、母親になれず、優しさのない女を作る。その結果、凶暴な男性を生み出しているのだ。きちんと男を育てれば、こんな動機で、人々が殺されるようなことは減らせるのに、なぜいつまでもジェンダーフリーなどというものに拘泥するのか。

そんな教育の甘さは語られないまま、犯罪が起きれば精神鑑定で「病気のせい」とし、犯罪者を野に放つこともある。そんなことは、本当にもうやめてほしい。(漫画家)


もう完全にアホだわー、やめてくれー!
「男性は、内面に攻撃性を秘めた生き物だ。」なんてダサくない?
加藤容疑者の無差別殺人は男女平均教育のせいだって?
昔はそういう犯罪がなかったとか言いたかったのかもしれないけど、
原因は男尊女卑をやめたことじゃなくて格差社会を作ったことだろー?
こういう人がレイプケースの時「被害者にも落ち度がある」とか言うんだろうなー、
キモイ、キモすぎ、きゃー変態よー!
本当になんだろーねー、この人が書いた漫画読んでみたいさー。
まったくもう、困ったチャンだこと!!   

Posted by shinakosan at 09:22Comments(6)TrackBack(1)本日のshinakosan