2007年08月28日
辺野古からお盆まで
カヌチャ行ったり、墓参り行ったり、最近は「やんばる」に行く機会が多くて嬉しい
。
23日も、Okinawan by heartのマイミクLOSNASさんが東のSOUL MATEと呼ぶICUのK先生と彼女のゼミ生が泊まる「ペンションへのこ」にお呼ばれしたので、お言葉に甘えて文化人類学者とその卵の皆さんの熱いお宿にお邪魔した。一人で行くはずが3人のお供を連れてしかもウチナータイムで登場、というなんともテーゲーな私をいやな顔ひとつせず迎えてくださったフレキシブルな皆さんと暑い夜を過ごすことになるんだけど、その前にその会を抜け出してお供の一人で合意してないプロジェクト所属のマイミク、オリオンの神君のガイドで辺野古に行くことにした。
辺野古とキャンプシュワブとを結ぶぐるぐる巻きの格子鉄線とか、それに結わえられた「NO MORE BASE」のリボンとか、水陸両用戦車の通った後とか、エメラルドグリーンの海とか、「進入禁止」の看板とか見て、小さな小さなプレハブの本部に行き、(たくさんの住民と住民ではない人の想いが詰まったオーラある建物だった)海から戻ってきて休んでいらっしゃった、真っ黒に日焼けしたシンさんにコンニチワと挨拶した。映画「ホテルハイビスカス」に出てきた辺野古の町並みと青い海と隣接した米軍基地。それ以前からある歴史や文化と、それに米軍基地をを織り交ぜさせらた人々の生活。ロンドンとか那覇にいると分からない「それら」をまじまじと見ると、やっぱり私の生活と辺野古の生活は違っていて、辺野古の生活にこれ以上「それら」を加えて「綺麗な海」を引くのはとんでもないことだというのが分かった。そんでもって、「すぐそこだから高江も行こうよ。」というオリオンの神君の言葉を信じて、高江を目指した。
大渋滞の名護を抜け東村までの道のりの長かったこと長かったこと。でも、なかなか足を運ばないエリアの、予想以上に開発された綺麗な道路と、ちっとも変わらない昔風の家々や息を呑むほど美しい海が見られて良かった。海が青から橙になって黒になるまで車を走らせ、山道を行き、高江の「ヘリパッド建設」反対の座り込みをしているところに着いた。その日はちょうど色々動きがあったらしくて、皆さんお疲れの様子だった。前からお会いしたかった琉大の阿部小鈴先生(頭にタオルを巻いたハルサールックだった、やっぱり彼女はクールだと思う)と少し立ち話ができたので嬉しかった。沖縄の水瓶といわれるダムのそばに新たな米軍施設ができようとしている、金武町もそう、沖縄は基地の重圧から開放されるどころかより近代的な米軍基地の建設ラッシュの状態だ。
「そろそろ帰ろう」と、ヤンバルクイナが飛び出してこないか気にしながら辺野古に向かった。左手に海、空には星、U君がハンドルを握り、オリオンの神君がギターを弾き、エビ君(彼もマイミク)が歌うという帰り道、「ああ贅沢、ラッキー」と女王様気分で辺野古のうさぎ屋に到着しLOSNAS・ICU組と合流。「ちょっとそこまで」と言い2時間半帰ってこなかった私たちを咎めないなんてやっぱり文化人類学者ってフレキシブルだと嬉しくなった(ごめんなさい&ありがとうございました!)。うさぎ屋(ここのヒラヤーチーは絶品!)にはマイミクのせりぽこママさんとせりぽこちゃんもいらっしゃって、すごーく楽しい宴となった。その後「ペンションへのこ」に帰り朝まで沖縄のことや研究のことを語り合った。
24日は家の近くの沖縄県公文書館で「米国における政府公文書へのアクセスの保証:米国国立公文書館・記録管理庁(NARA)の役割」という講演を聞きに行った。市民と権利と情報と国家との間に微妙な感じで浮遊する公文書にどうアクセスしてどう利用するか、叩けば埃の出るアメリカだけど、こういうことをやるのはやっぱり自由や民主主義を生かそうとしている結果であり、まだまだ不十分だけど国民に政治させない幼稚な日本とは違ってる。アメリカのいい一面を久しぶりに見てちょっと嬉しくなると同時に、沖縄公文書館のすごさを再認識できる良いチャンスだった。
会場ではこの前、著書の「沖縄はもうだまされない」をプレゼントしてくれた、現在アメリカでジュゴン訴訟をやっている建築家の真喜志好一さん(佐喜眞美術館などを作った超クールな建設親方!)とか、琉球大学時代にお世話になったジェンキンス先生(久しぶりのイギリス英語に胸がキュンとなりました!)とか、フラシスターとか、マイミクのsanpinchaさんとかカマドゥさんとかに会えたので、ほーんと行って良かった。小さい沖縄だからこうやって外に出れば色んな人と再会したり誰かと繋がったりするんだってことを確認できて良かった。論文執筆中は出不精になりがちだけど少しは家から出るようにしよう。
お盆(ちなみに沖縄は旧暦で盆をやるので本土とは日付が異なる、今年は25-27だった)は怒涛の三日間だったので詳細は省くけども、こんなこと毎年やるなんて沖縄女性は本当に大変。男性陣とご先祖様は座って酒を飲んでいればいいんだから楽なもの。でも、せめて準備と片付けは男女協力して一家総出でやるようにしないと、早くて2世代後には消滅するだろうな、この風習。盆は仏教、仏壇は儒教、トートーメーは祖先崇拝、と、なにがなんだか分からないけどとりあえずトラディショナルで一大事の「お盆」。盆でもないのにエイサー
を踊るこのご時世、ないちゃーうけする文化だけが生き残るプチグローバリゼーションに悶えるポストコロニアル社会を目の当たりにして「どうなる沖縄?」と思ったり思わなかったり。
今年のお盆は実はおばーちゃんにはもっと兄弟がいたとか、戦時中サイパンの神様に助けられたとかなんとか、今まで知らなかったことが沢山分かって面白かった。ウンケージューシーも三枚肉もミミガーの和え物も美味しかったから良かった(3キロくらい太ったと思う)。とりあえず無事に年中行事が終了して良かった良かった!
そんなこんなです、猫の手も借りたいくらい忙しいけどのんびりやってます。論文完成までもう少し!頑張らないとなぁ!
。23日も、Okinawan by heartのマイミクLOSNASさんが東のSOUL MATEと呼ぶICUのK先生と彼女のゼミ生が泊まる「ペンションへのこ」にお呼ばれしたので、お言葉に甘えて文化人類学者とその卵の皆さんの熱いお宿にお邪魔した。一人で行くはずが3人のお供を連れてしかもウチナータイムで登場、というなんともテーゲーな私をいやな顔ひとつせず迎えてくださったフレキシブルな皆さんと暑い夜を過ごすことになるんだけど、その前にその会を抜け出してお供の一人で合意してないプロジェクト所属のマイミク、オリオンの神君のガイドで辺野古に行くことにした。
辺野古とキャンプシュワブとを結ぶぐるぐる巻きの格子鉄線とか、それに結わえられた「NO MORE BASE」のリボンとか、水陸両用戦車の通った後とか、エメラルドグリーンの海とか、「進入禁止」の看板とか見て、小さな小さなプレハブの本部に行き、(たくさんの住民と住民ではない人の想いが詰まったオーラある建物だった)海から戻ってきて休んでいらっしゃった、真っ黒に日焼けしたシンさんにコンニチワと挨拶した。映画「ホテルハイビスカス」に出てきた辺野古の町並みと青い海と隣接した米軍基地。それ以前からある歴史や文化と、それに米軍基地をを織り交ぜさせらた人々の生活。ロンドンとか那覇にいると分からない「それら」をまじまじと見ると、やっぱり私の生活と辺野古の生活は違っていて、辺野古の生活にこれ以上「それら」を加えて「綺麗な海」を引くのはとんでもないことだというのが分かった。そんでもって、「すぐそこだから高江も行こうよ。」というオリオンの神君の言葉を信じて、高江を目指した。
大渋滞の名護を抜け東村までの道のりの長かったこと長かったこと。でも、なかなか足を運ばないエリアの、予想以上に開発された綺麗な道路と、ちっとも変わらない昔風の家々や息を呑むほど美しい海が見られて良かった。海が青から橙になって黒になるまで車を走らせ、山道を行き、高江の「ヘリパッド建設」反対の座り込みをしているところに着いた。その日はちょうど色々動きがあったらしくて、皆さんお疲れの様子だった。前からお会いしたかった琉大の阿部小鈴先生(頭にタオルを巻いたハルサールックだった、やっぱり彼女はクールだと思う)と少し立ち話ができたので嬉しかった。沖縄の水瓶といわれるダムのそばに新たな米軍施設ができようとしている、金武町もそう、沖縄は基地の重圧から開放されるどころかより近代的な米軍基地の建設ラッシュの状態だ。
「そろそろ帰ろう」と、ヤンバルクイナが飛び出してこないか気にしながら辺野古に向かった。左手に海、空には星、U君がハンドルを握り、オリオンの神君がギターを弾き、エビ君(彼もマイミク)が歌うという帰り道、「ああ贅沢、ラッキー」と女王様気分で辺野古のうさぎ屋に到着しLOSNAS・ICU組と合流。「ちょっとそこまで」と言い2時間半帰ってこなかった私たちを咎めないなんてやっぱり文化人類学者ってフレキシブルだと嬉しくなった(ごめんなさい&ありがとうございました!)。うさぎ屋(ここのヒラヤーチーは絶品!)にはマイミクのせりぽこママさんとせりぽこちゃんもいらっしゃって、すごーく楽しい宴となった。その後「ペンションへのこ」に帰り朝まで沖縄のことや研究のことを語り合った。
24日は家の近くの沖縄県公文書館で「米国における政府公文書へのアクセスの保証:米国国立公文書館・記録管理庁(NARA)の役割」という講演を聞きに行った。市民と権利と情報と国家との間に微妙な感じで浮遊する公文書にどうアクセスしてどう利用するか、叩けば埃の出るアメリカだけど、こういうことをやるのはやっぱり自由や民主主義を生かそうとしている結果であり、まだまだ不十分だけど国民に政治させない幼稚な日本とは違ってる。アメリカのいい一面を久しぶりに見てちょっと嬉しくなると同時に、沖縄公文書館のすごさを再認識できる良いチャンスだった。
会場ではこの前、著書の「沖縄はもうだまされない」をプレゼントしてくれた、現在アメリカでジュゴン訴訟をやっている建築家の真喜志好一さん(佐喜眞美術館などを作った超クールな建設親方!)とか、琉球大学時代にお世話になったジェンキンス先生(久しぶりのイギリス英語に胸がキュンとなりました!)とか、フラシスターとか、マイミクのsanpinchaさんとかカマドゥさんとかに会えたので、ほーんと行って良かった。小さい沖縄だからこうやって外に出れば色んな人と再会したり誰かと繋がったりするんだってことを確認できて良かった。論文執筆中は出不精になりがちだけど少しは家から出るようにしよう。
お盆(ちなみに沖縄は旧暦で盆をやるので本土とは日付が異なる、今年は25-27だった)は怒涛の三日間だったので詳細は省くけども、こんなこと毎年やるなんて沖縄女性は本当に大変。男性陣とご先祖様は座って酒を飲んでいればいいんだから楽なもの。でも、せめて準備と片付けは男女協力して一家総出でやるようにしないと、早くて2世代後には消滅するだろうな、この風習。盆は仏教、仏壇は儒教、トートーメーは祖先崇拝、と、なにがなんだか分からないけどとりあえずトラディショナルで一大事の「お盆」。盆でもないのにエイサー
を踊るこのご時世、ないちゃーうけする文化だけが生き残るプチグローバリゼーションに悶えるポストコロニアル社会を目の当たりにして「どうなる沖縄?」と思ったり思わなかったり。今年のお盆は実はおばーちゃんにはもっと兄弟がいたとか、戦時中サイパンの神様に助けられたとかなんとか、今まで知らなかったことが沢山分かって面白かった。ウンケージューシーも三枚肉もミミガーの和え物も美味しかったから良かった(3キロくらい太ったと思う)。とりあえず無事に年中行事が終了して良かった良かった!
そんなこんなです、猫の手も借りたいくらい忙しいけどのんびりやってます。論文完成までもう少し!頑張らないとなぁ!
2007年08月18日
第2次琉球大事件
<第2次琉球大事件>
51年ぶり処分撤回「米の圧力だった」
(毎日新聞 - 08月18日 02:21)
米国統治下の1956年8月、反米活動を理由に琉球大学生7人が退学・謹慎処分となった「第2次琉球大事件」で、同大は17日、「米国の圧力を受けたもので不当だった」として7人の処分を取り消し、岩政輝男学長が元学生たちに直接謝罪した。元学生たちは51年後の名誉回復に複雑な表情だった。
事件は、沖縄の米軍用地料の一括払いを勧告した「プライス勧告」に反対し、56年8月にあった琉球大学生による初のデモで中心的役割を果たしたとして、男子学生6人が退学に、女子学生1人が謹慎となった。
琉球大同窓会は05年4月、「処分は反米活動の広がりを恐れた米国民政府の圧力によるもので不当だった」として処分取り消しを大学に要請。同大教授が06年、米国民政府の圧力を裏付ける資料を米国で見つけ、大学が調査委員会を設けて元学生らに事情を聴いていた。「当時の学長から『不本意ながら処分する。許してくれ』と言われた」などの証言があり、処分の取り消しを決めた。
大学は17日、処分取り消しの伝達式を大学内で開き、元学生3人が出席した。3人のうち、当時学生会長だった那覇市古島の古我知(こがち)勇さん(75)は「デモは当時の警察署長からもほめられるほど、整然としていた。処分取り消しには感謝の念もあるが、もっと早くできなかったのかとの思いもある」と胸の内を明かした。
退学処分になった6人のうち、5人は琉球大が本土の大学へ転学させ、1人は処分の3カ月後に復学させている。1人は04年に亡くなった。
この事件に先立つ53年4月には、学内民主化を求める運動をした学生4人を大学が謹慎処分にした「第1次琉球大事件」が起きている。【三森輝久】
1956年、米国民政府時代。沖縄。
プライス勧告に反対し「ヤンキーゴーホーム」と叫ぶ琉大生達が、「ヤンキーゴーホーム」は反米的発言だとして大学を追放された第二次琉大事件。「赤」の刻印を押され、CIC(米軍防諜部隊)に監視され、「本学の存立を危うくし、本学の信用を失墜した」という理由で除籍された先輩達。51年の時を経て名誉を回復した先輩達。
2007年、日本政府時代、沖縄。
自衛隊が国民のデモを監視する時代。教科書検定の集団自決「軍関与」の記述削除に抗議して「ジャップゴーホーム」なんて叫んだら「お前は非国民だ」とか「愛国心がなーい」とか言われて「本学の存立を危うくし、本学の信用を失墜した」という理由で除籍されたりして。十分あり得る話で笑えねなーこりゃ。
2007年08月16日
札束で顔を叩かれる
フラ再会しました☆
一年ぶりに踊るから本当に散々なんだけど私の人生にフラが戻ってきたことが嬉しくて、筋肉痛や久しぶりのハワイ語と格闘しながら、クムとアラカイとフラシスターズとの汗だくの贅沢噛み締めてます。
運良く年末のホイケに出させてもらえることになったので、揺れないヒップに鞭打って、ホイケに向け「トロピカルスウィング」というオールドスクールでノスタルジックないい感じの曲練習してます。
ハパ・ハオレソングの「トロピカルスウィング」には、白人の迫害を受けたフラが、今度は逆に白人をエンターテインするために商品化され消費された時代を風刺する意味が含まれているんだそうです。
今朝の琉球新報に「米兵再編法 交付金、防衛相の裁量 29日施行減額、ゼロも」とありました。要は「在日米軍再編に協力しないならオカネあげませんからね。」ということだそうです。
札束で顔を叩く常套手段を使う元環境相で内閣府特命担当大臣(沖縄及び北方対策)の現防衛相小池百合子、成金と違ってその札束は血税。自分達が払ったお金で顔を叩かれるオキナワ、なんか変です。
小池百合子オフィシャルウェブサイトhttp://www.yuriko.or.jp/に、
小池百合子が目指す「日本」というページには、
と書いてあります。
トップ画面の「日本の安全・安心を守り持続可能な社会作りに全力を尽くします」という文句もとっても気持ち悪い。だって札束で顔を叩いて持続できる社会は沖縄の自然を持続するものではないんだもの。
さっき「岐阜県多治見市で国内観測史上で最高気温の40.9度を観測」という速報テロップが出ていました。地球温暖化をかりゆしウェアだけでは解決出来ないのを、元環境相は小池は知っているのでしょうか。
ハイブリット戦闘機とまで言った小池が「つくらない選択肢」を盛り込まない環境アセスを行い自然破壊や住民弾圧をやるのは彼女のHPにある政治基本理念と相反するわけでちっともヘルシーじゃないと思います。
怒りや悲しみをスウィングに載せてコミカルに踊り継承してきたハワイのロコ達。最近の沖縄音楽人達もレゲエやポップスに沖縄を載せて歌ってます。札束で顔を叩かれる沖縄の声、小池の耳に届くといいですけど。
一年ぶりに踊るから本当に散々なんだけど私の人生にフラが戻ってきたことが嬉しくて、筋肉痛や久しぶりのハワイ語と格闘しながら、クムとアラカイとフラシスターズとの汗だくの贅沢噛み締めてます。
運良く年末のホイケに出させてもらえることになったので、揺れないヒップに鞭打って、ホイケに向け「トロピカルスウィング」というオールドスクールでノスタルジックないい感じの曲練習してます。
ハパ・ハオレソングの「トロピカルスウィング」には、白人の迫害を受けたフラが、今度は逆に白人をエンターテインするために商品化され消費された時代を風刺する意味が含まれているんだそうです。
今朝の琉球新報に「米兵再編法 交付金、防衛相の裁量 29日施行減額、ゼロも」とありました。要は「在日米軍再編に協力しないならオカネあげませんからね。」ということだそうです。
札束で顔を叩く常套手段を使う元環境相で内閣府特命担当大臣(沖縄及び北方対策)の現防衛相小池百合子、成金と違ってその札束は血税。自分達が払ったお金で顔を叩かれるオキナワ、なんか変です。
小池百合子オフィシャルウェブサイトhttp://www.yuriko.or.jp/に、
自由と平和を希求するわが国が世界において尊厳ある地位を確保し、国民が未来に対し自信を持ち、自らの夢を実現する選択肢を有する自由な国家を築くとありました。
小池百合子が目指す「日本」というページには、
1.立法府主導の政治 議院内閣制の本来の機能を回復させるため、政治過程の浄化・透明化を図る。国会審議の在り方を改革し、与野党各政党間で建設的な論争を自由闊達に行なう言論の府に国会を生まれ変わらせる。行政改革を徹底して官僚主義から政治主導の政治を確立する。
2.生活者主権の確立
生活者の主権と選択の自由を制限する過度の許認可等の規制を撤廃する。女性の社会参加、金融の効率化、高齢化対策、環境、住宅などにおいて、生活者の視点を重視した政策を実現する。税のコストパフォーマンス を高め、豊かさが実感できる生活者のための革命をめざす。
3.地方分権の徹底
地域や生活のニーズに即した公的サービスの充実と多様化を図るため、地方分権 を進め、NPOをはじめとする民間の力を活用し、小さな政府をめざす。国と地方の行財政の守備範囲を整理する。Value for Moneyの発想で効率的運営を行なう。
4.教育改革と多様な文化の創造
画一よりも多様、硬直よりも柔軟、集権よりも分権、統制よりも自由・自立を重んじる教育制度、教育行政への転換を図り、学制改革を含む教育改革を推進する。多様な文化こそ、未来を拓く最も根源的な生命力であり、国際社会に開かれた、風格のある文化国家の建設をめざす。英語教育を徹底し、世界への発信力を高める。
5.世界平和への貢献
日米欧三極の安全保障と政治経済の協調体制を堅持しながら、特にアジア・太平洋地域の経済協力を発展させ、世界の平和堅持と地域紛争処理のための国連活動に積極的に貢献する。NGO活動をサポートし、わが国の顔の見える貢献を実行する。
6.地球環境の保全
人類の存在さえも脅かす地球環境問題に取り組む。環境保全費として、GNPの2%を目標値として 設定し、その実現をめざす。これまでの日本の公害防止・省エネルギー・省資源技術を世界に積極的に広め、世界各国が経済発展と環境保全とを両立できるよう支援する。
と書いてあります。
トップ画面の「日本の安全・安心を守り持続可能な社会作りに全力を尽くします」という文句もとっても気持ち悪い。だって札束で顔を叩いて持続できる社会は沖縄の自然を持続するものではないんだもの。
さっき「岐阜県多治見市で国内観測史上で最高気温の40.9度を観測」という速報テロップが出ていました。地球温暖化をかりゆしウェアだけでは解決出来ないのを、元環境相は小池は知っているのでしょうか。
ハイブリット戦闘機とまで言った小池が「つくらない選択肢」を盛り込まない環境アセスを行い自然破壊や住民弾圧をやるのは彼女のHPにある政治基本理念と相反するわけでちっともヘルシーじゃないと思います。
怒りや悲しみをスウィングに載せてコミカルに踊り継承してきたハワイのロコ達。最近の沖縄音楽人達もレゲエやポップスに沖縄を載せて歌ってます。札束で顔を叩かれる沖縄の声、小池の耳に届くといいですけど。
2007年08月14日
bonoboさんの日記
「女・子どもを守る」とか、
男臭漂うロマンティックなこと言っても、
結局は女・子どもを守らなかったのが過去の戦争。
しかも追い詰められた女・子どもが死んだら戦争を始めた男たちは、
その責任を女・子どもに押し付ける。
そりゃないわ。
さっきそんなことを考えてた。
bonoboさんが面白い日記書いていて、
すごく気に入ったので転載許可をもらって紹介します。
エンジョイ!
bonoboさんの日記
2007年08月14日04:02
赤ん坊は自決しなかったこと、もしくは戦争とナショナリズムについて
戦争について考える意味とは何だろう。
それは、ヒトがこんな風にもなりうる動物なのだという
最悪の状況を知ることだ。戦争に燃える国民の狂気。
戦場でのさらなる狂気。そして肉体の悲惨。
さらに、その狂気や悲惨や生命の破壊が、
ヒトが国家というものを持つことからきていること。
ナショナリズムについてずっと考えていた。
なぜヒトはその精神の流行病のようなものに巻き込まれるのか、
どうすればその暴走を予防できるのか、
ヒトにとってナショナリズムとは何なのか、など。
それで、さっきふと思ったこと。
沖縄は帝国の周縁部にあって日本人化(皇民化)+近代化の圧力を
明治以降強く受け続けてきたために、
過剰に「日本人でありたい」と願う(じつはアイデンティティ不安の
裏返しの)気持ちを生み出してしまったところがあった。
そのことは、沖縄戦では「集団自決」の悲劇の一因にもなったかも
しれない。(集団自決は、軍の強制云々が問題になっているが、
実は真に大切なのは、軍命があったなかったの事実問題より、
今の政府中枢が軍を免責しようとする根性のさもしさなのだ。)
集団自決というが、研究者の間では軍人の「自決」と区別する
ためにも「集団死」という人が多い。
それは、軍に強制・誘導されたということに加え、
乳幼児達は自分で自決するわけもなく、親が殺したから
実は「殺人」がともなっているからなのだ。
この「乳幼児達は自決しなかった」ということ、
当たり前のように思うだろうが、実はすごく大切なことだと思う。
恐怖心から自決した人、本当にお国のためにと思って自決した人、
そのときはいろいろいただろうけれど、
でもこの世に出てきて数年以内の乳幼児たちは「自分で死ぬ」
なんてことを思いつかなかった、ナショナリズムには染まっていなかった
ということだ。
前に日記に書いたように、ヒトという動物は
どんな共同幻想も持つことができる。
宗教であれ、マルクス主義であれ、ナショナリズムであれ。
文化相対主義的に考えると、それらの世界観を等価なものとして
みることになる。(まずはそうしないと次に進めないからね。)
その場合、自分がナショナリズムやいくつかの宗教や全体主義や
近代主義や大量消費主義を批判する理由は、
「それらが調和のとれた(=平和な)持続可能な社会システム
をつくらないから」ということだった。僕の場合。
しかし、「この世に生まれてきたばかりの、まだ言葉を知らない
乳幼児は国のために死のうなんて思わない」という事実は、
「ナショナリズムは「国を愛する自然な感情」などと教えられるが、
じつはヒトという動物としては、外からの作用でひきおこ
される、きわめて不自然なこと」
なのだとわかる。赤ん坊がやろうと思いつかないようなことに
大人たちがみんなしてハマって、死んだり殺したりと生命を
破壊するのは間違っている。
赤ん坊は、食べたり笑ったりするのが好きだ。
だから大人も、そうするのがいいのだ。
男臭漂うロマンティックなこと言っても、
結局は女・子どもを守らなかったのが過去の戦争。
しかも追い詰められた女・子どもが死んだら戦争を始めた男たちは、
その責任を女・子どもに押し付ける。
そりゃないわ。
さっきそんなことを考えてた。
bonoboさんが面白い日記書いていて、
すごく気に入ったので転載許可をもらって紹介します。
エンジョイ!
bonoboさんの日記
2007年08月14日04:02
赤ん坊は自決しなかったこと、もしくは戦争とナショナリズムについて
戦争について考える意味とは何だろう。
それは、ヒトがこんな風にもなりうる動物なのだという
最悪の状況を知ることだ。戦争に燃える国民の狂気。
戦場でのさらなる狂気。そして肉体の悲惨。
さらに、その狂気や悲惨や生命の破壊が、
ヒトが国家というものを持つことからきていること。
ナショナリズムについてずっと考えていた。
なぜヒトはその精神の流行病のようなものに巻き込まれるのか、
どうすればその暴走を予防できるのか、
ヒトにとってナショナリズムとは何なのか、など。
それで、さっきふと思ったこと。
沖縄は帝国の周縁部にあって日本人化(皇民化)+近代化の圧力を
明治以降強く受け続けてきたために、
過剰に「日本人でありたい」と願う(じつはアイデンティティ不安の
裏返しの)気持ちを生み出してしまったところがあった。
そのことは、沖縄戦では「集団自決」の悲劇の一因にもなったかも
しれない。(集団自決は、軍の強制云々が問題になっているが、
実は真に大切なのは、軍命があったなかったの事実問題より、
今の政府中枢が軍を免責しようとする根性のさもしさなのだ。)
集団自決というが、研究者の間では軍人の「自決」と区別する
ためにも「集団死」という人が多い。
それは、軍に強制・誘導されたということに加え、
乳幼児達は自分で自決するわけもなく、親が殺したから
実は「殺人」がともなっているからなのだ。
この「乳幼児達は自決しなかった」ということ、
当たり前のように思うだろうが、実はすごく大切なことだと思う。
恐怖心から自決した人、本当にお国のためにと思って自決した人、
そのときはいろいろいただろうけれど、
でもこの世に出てきて数年以内の乳幼児たちは「自分で死ぬ」
なんてことを思いつかなかった、ナショナリズムには染まっていなかった
ということだ。
前に日記に書いたように、ヒトという動物は
どんな共同幻想も持つことができる。
宗教であれ、マルクス主義であれ、ナショナリズムであれ。
文化相対主義的に考えると、それらの世界観を等価なものとして
みることになる。(まずはそうしないと次に進めないからね。)
その場合、自分がナショナリズムやいくつかの宗教や全体主義や
近代主義や大量消費主義を批判する理由は、
「それらが調和のとれた(=平和な)持続可能な社会システム
をつくらないから」ということだった。僕の場合。
しかし、「この世に生まれてきたばかりの、まだ言葉を知らない
乳幼児は国のために死のうなんて思わない」という事実は、
「ナショナリズムは「国を愛する自然な感情」などと教えられるが、
じつはヒトという動物としては、外からの作用でひきおこ
される、きわめて不自然なこと」
なのだとわかる。赤ん坊がやろうと思いつかないようなことに
大人たちがみんなしてハマって、死んだり殺したりと生命を
破壊するのは間違っている。
赤ん坊は、食べたり笑ったりするのが好きだ。
だから大人も、そうするのがいいのだ。
2007年08月10日
生まれ島の惨状
生まれ島「沖縄」に戻ってきて一月弱。
沖縄というのは本当に悲惨なところなのですね。
3年前に沖縄国際大学に落ちたヘリの整備士四人の名前はプライバシー保護法を根拠に公表されず、氏名不詳のまま書類送検するも不起訴になり、
米軍装甲車がUターンを理由に無断で県立高等養護学校に侵入した問題で再発防止を求めた矢先に今度は県立前原高校に米軍車両が無断進入し、
小池防衛相が県に対し、北部振興事業の執行には環境アセスメント受け入れなど移設作業の進展(つまりは辺野古の合意)が必要との考えを示した。
「沖縄」とはこんなにも惨めな島だったのですね。
ブログでお世話になっているokinawa_maxiさんのHPNo More US Basesで、SACO合意、1966年から計画があった辺野古海上基地計画、環境アセス法違反、日本が公開したがらないオスプレイ、米軍の安全基準に会わない普天間基地、等について勉強させてもらいました。
彼のブログやHPは、確りとしたソースの提示と、分かり易い解説、彼自身の明確な意見が書いてあり非常に質が良く、「沖縄」を追いかけるのに最適だと思うので興味のある方は是非是非訪ねて見て下さい。
外にいたら大声で言えた「沖縄」の色んな事、島で同じように言うのは決して容易でなく、会社や婚姻の制度に組み込まれてれていないモラトリアムな私でさえ口噤む事の多い毎日ですから、大人の大半はあえて「沖縄」の色々を口にしないのかもしれません。
けれど糸数ケイコや山内トクシンを選出させた大人たちですから、多くの人が「沖縄」の惨状に気が付いているのだと思います。これをどう表現していくかが島に住む私達の考えないといけないことなのでしょうね。
ちょっとでもいいから出来ることをしてみたい気持ちで一杯になりました。あまり良いニュースがない中で教科書検定問題で超党派による県民大会の実施が決まったニュース、興南高校が甲子園一回戦を突破したニュース、それから同じ道場で稽古した剣道の後輩達がインターハイで活躍したニュースはやっぱり嬉しかったです。
いつか生まれ島が癒しの島になりますように。
沖縄というのは本当に悲惨なところなのですね。
3年前に沖縄国際大学に落ちたヘリの整備士四人の名前はプライバシー保護法を根拠に公表されず、氏名不詳のまま書類送検するも不起訴になり、
米軍装甲車がUターンを理由に無断で県立高等養護学校に侵入した問題で再発防止を求めた矢先に今度は県立前原高校に米軍車両が無断進入し、
小池防衛相が県に対し、北部振興事業の執行には環境アセスメント受け入れなど移設作業の進展(つまりは辺野古の合意)が必要との考えを示した。
「沖縄」とはこんなにも惨めな島だったのですね。
ブログでお世話になっているokinawa_maxiさんのHPNo More US Basesで、SACO合意、1966年から計画があった辺野古海上基地計画、環境アセス法違反、日本が公開したがらないオスプレイ、米軍の安全基準に会わない普天間基地、等について勉強させてもらいました。
彼のブログやHPは、確りとしたソースの提示と、分かり易い解説、彼自身の明確な意見が書いてあり非常に質が良く、「沖縄」を追いかけるのに最適だと思うので興味のある方は是非是非訪ねて見て下さい。
外にいたら大声で言えた「沖縄」の色んな事、島で同じように言うのは決して容易でなく、会社や婚姻の制度に組み込まれてれていないモラトリアムな私でさえ口噤む事の多い毎日ですから、大人の大半はあえて「沖縄」の色々を口にしないのかもしれません。
けれど糸数ケイコや山内トクシンを選出させた大人たちですから、多くの人が「沖縄」の惨状に気が付いているのだと思います。これをどう表現していくかが島に住む私達の考えないといけないことなのでしょうね。
ちょっとでもいいから出来ることをしてみたい気持ちで一杯になりました。あまり良いニュースがない中で教科書検定問題で超党派による県民大会の実施が決まったニュース、興南高校が甲子園一回戦を突破したニュース、それから同じ道場で稽古した剣道の後輩達がインターハイで活躍したニュースはやっぱり嬉しかったです。
いつか生まれ島が癒しの島になりますように。
2007年08月01日
ただいま
一年ぶりの沖縄、
呼吸するだけで汗だくになる暑い暑い沖縄、
青すぎる空とコンクリートの家々、
相変わらずの交通渋滞とダークスキンの人々、
ほっぺた落ちる琉球家庭料理と薫り高い泡盛、
うちなーやまとぐち溢れるローカルラジオ放送、
かじゅまるとハイビスカスと月桃とごーやー棚、
そしてエメラルドグリーンの海。
ファミリーメンバーとチャンプルーを食べながら、
冷え冷えのオリオンビールを飲みながら、
じりじり肌を焦がしながら(元の色に戻しながら)、
懐かしい友達との再会を果たしながら、
ちゃっかり新しい出会いも体験しながら、
久しぶりのオキナワンライフをスタートさせています。
昨日は糸数ケイコも山内トクシンも勝って、
「ジャパニーズも捨てたもんじゃない」と偉そうに呟きながら、
かちゃーしーを踊りだしそうな気持ちで晩酌しました。
未だ終わらぬ論文をいくつも抱え、
来年の身の振り方さえ定まらない不安定な状態ですが、
僕は僕なりにゆっくり楽しくやってみようと思います。
とりあえずアップデートでした、
連絡先欲しい方は連絡ください(変な日本語)。
いまいちのネット環境のためなかなかmixiできませんが、
SHINAKOSAN IN OKINAWA をどうぞ宜しくお願いします。
呼吸するだけで汗だくになる暑い暑い沖縄、
青すぎる空とコンクリートの家々、
相変わらずの交通渋滞とダークスキンの人々、
ほっぺた落ちる琉球家庭料理と薫り高い泡盛、
うちなーやまとぐち溢れるローカルラジオ放送、
かじゅまるとハイビスカスと月桃とごーやー棚、
そしてエメラルドグリーンの海。
ファミリーメンバーとチャンプルーを食べながら、
冷え冷えのオリオンビールを飲みながら、
じりじり肌を焦がしながら(元の色に戻しながら)、
懐かしい友達との再会を果たしながら、
ちゃっかり新しい出会いも体験しながら、
久しぶりのオキナワンライフをスタートさせています。
昨日は糸数ケイコも山内トクシンも勝って、
「ジャパニーズも捨てたもんじゃない」と偉そうに呟きながら、
かちゃーしーを踊りだしそうな気持ちで晩酌しました。
未だ終わらぬ論文をいくつも抱え、
来年の身の振り方さえ定まらない不安定な状態ですが、
僕は僕なりにゆっくり楽しくやってみようと思います。
とりあえずアップデートでした、
連絡先欲しい方は連絡ください(変な日本語)。
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