2007年11月29日

パレスチナ






11月27日午前9時、沖縄は雨だった。
「あいにくの雨空ですね」と言うと。
「僕らにとって雨は恵を意味します、とてもいい日で嬉しいです」と応えた。

その日はパレスチナのファトヒ・クデイラート氏を「嘉手納町・道の駅」へ案内した。
私は彼の講演を聴くことが出来なかったのだけれども、
それはそれは悲惨な現実を事細かに説明してくれたとのこと。
相互理解のために、ネットワーク構築のために、
「沖縄とパレスチナを結ぶ会」の豊見山氏の提案で
「沖縄の現状もお見せしましょうツアー」を決行。
私は嘉手納までのドライブと通訳をさせてもらった。
58号線の風景、右か左か両方にフェンスが続く道路。
ヨルダン川西岸地区の「分離壁」を連想させるという。

「沖縄はパレスチナと同じですね。」

彼の発した言葉に、一瞬頭が真っ白になる。
遠い外国の紛争地域、ニュースでしか耳にしない数々の地名。
そこが沖縄と「同じ」だということはどういうことだろう。
そこをぐるっと囲む壁。追い出される農民、奪われる農地や水。

道の駅3Fでフィルムを見た。
銃剣とブルドーザーによる基地建設、奪われる農地、燃える井戸。
それから60年以上たった今でも続く米軍基地関連の事故や犯罪。
そしてこれから更に顕著になるであろう騒音被害、環境汚染。
そうか、ここにもパレスチナがあるのですね。

軍事って難しくてよく分からない。
でも軍事をやるには人や土地や金が必要だということは分かる。
そして軍事によって人や土地や金が汚染され、死んでいく。
そして今、この瞬間にもパレスチナの人たちは大変な思いをしている。
3世代にもわたり難民をやっていくこと、土地を奪われること。
黙認耕作地の汚染されてるかもしれない土の上で、
細々と農業をやるうちなーおじーの姿にパレスチナを重ねて悲しくなる。

パレスチナのことが単なる遠い外国でなくなった日。
パレスチナ問題はもうパレスチナだけの問題ではない。
3時間程度でしたけど、人が交流するというのはいいことですね。

「今度はパレスチナに来て下さい、パレスチナを見てください。」

とてもとても小さな声で、
物静かに話すファヒト氏が私の目を見てそう言った。
もっとパレスチナのことを勉強してみようと思った。





ファトヒ・クデイラート(Fathi Khdeirat)氏

パレスチナ反アパルトヘイトウォール草の根キャンペーン
http://www.stopthewall.org/(公式HP)
http://palestine-forum.org/event/20071125.html(日本でのスピーキングツアー)
1967年生まれ。ヨルダン渓谷バルダラ村(西岸地区)出身。
バルダラ村評議会議長(村長)、パレスチナ農業組合北ヨルダン渓谷支部委員長などを経て、現在、パレスチナ反アパルトヘイトウォール草の根キャンペーンのヨルダン渓谷コーディネーター。同地域において深刻な土地収用等の人権侵害を告発し、ユダヤ人入植地の農産物のボイコット運動を提唱する。同地域で日本がODAを通じて進める「平和と繁栄の回廊」構想に対し、現地住民の立場から批判している。この間、ヨルダン渓谷において深刻な土地収用等の人権侵害を調査し、これに反対するキャンペーンを展開。同渓谷におけるユダヤ人入植地の農産物の国際的なボイコット運動を提唱・推進している。これまでドイツやイギリスなどで講演。イギリスでは、入植地の農産物の輸出を行っているイスラエル企業アグレスコ社イギリス本社の一日閉鎖行動に参加。



関連リンク

特集【アパルトヘイト・ウォール】(ここの参考文献リストは必見!)
http://palestine-heiwa.org/wall/wall.html
スピーキング・ツアー 日程(仙台・札幌・東京・広島の方必見!)
http://palestine-forum.org/event/20071125.html
Peace for Palestine(パレスチナ在住の濱本さんの日記。)
http://palestine.at.infoseek.co.jp/
パレスチナにおける水問題(あんなばななチャン解説して!)
http://palestine-forum.org/water/

写真
http://stopthewall.org/news/photos.shtml(リンクフリーですよ。)
一番上の写真は「嘉手納道の駅」ではなくて「パレスチナ」です。本当に似ているなぁ。
  

Posted by shinakosan at 11:16Comments(2)TrackBack(0)本日のshinakosan

2007年11月19日

雨の雫




            ロンドンでは常に私を包んでいた灰色の空とレインドロップス。
            沖縄でお目にかかると何故か切ない、寂しい。
            冬が来るんだなぁ、恋でもしようかなぁ。
              

Posted by shinakosan at 10:16Comments(2)TrackBack(0)本日のshinakosan

2007年11月14日

教科書問題、まだまだ続く

出遅れたけど、どろさんを見習って本人尋問を詳しく読んでみた。


11月9日沖縄集団自決訴訟の詳報(1)~(4)

http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/event/trial/99444/
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/event/trial/99496/
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/event/trial/99530/
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/event/trial/99573/
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/event/trial/99545/ 


午前10時半過ぎに開廷。冒頭、座間味島の守備隊長だった梅沢裕さん(90)と、渡嘉敷島の守備隊長だった故赤松嘉次さんの弟の秀一さん(74)の原告2人が並んで宣誓。午前中は梅沢さんに対する本人尋問が行われた。


私が驚いた箇所。


被「手榴弾は重要な武器だから、
  梅沢さんの許可なく島民に渡ることはありえないのでは。」
梅「ありえない。」
 →でも住民は手榴弾で集団自決をしている。無論日本軍の手榴弾で。

被「大江健三郎氏の『沖縄ノート』を読んだのはいつか。」
梅「去年。」
 →名誉毀損で著者と出版社訴えた後に著書を読んだという発言。

原「『鉄の暴風』にはお兄さんが自決命令を出したと書かれているが。」
赤「信じられないことだった。兄がするはずもないし、したとは思いたくもない。
  しかし、329人が集団自決したと細かく数字も書いてある。
  なにか誤解されるようなことをしたのではないかと悩み続けた。
  家族で話題にしたことはなかった。タブーのような状態だった。」
 →するはずもないから「してない」という理論が成り立つのか。

原「実際に『沖縄ノート』を読んでどう思ったか。」
赤「難しい本なので飛ばし読みしたが、           
  兄が誹謗中傷されているのはよく分かった。」
 →飛ばし読みで著者と出版社を相手取り名誉毀損の裁判が出来るのか。

原「裁判は人に起こせと言われたのか。」
赤「確かにそうやけど、歴史として定着するのはいかんと思った。
  そういう気持ちで裁判を起こした。」
 →読んでいない本を訴えるに後ろ手を引いた人がいたということ。


そして後ろ手を差し出したのは「つくる会」で、琉球新報朝刊(2007年11月14日)によると、つくる会が一社の訂正申請の内容を挙げ「検定前よりも反軍思想が露骨に表現されている。絶対に認めることは出来ない。」と批判し意見書を出したという。

反軍思想というが、軍の中には沖縄人もいてこれは単純な右対左、沖縄対日本の二項対立ではない。沖縄からのメッセージは「日本軍を侮辱すること」ではなく「軍は住民を守らなかった」という教訓。軍や戦争の本質を問うことで戦を憎み平和を欲するということ、それをつくる会は何故頑なに拒む必要があるのか。


話を戻して11月9日の午後1時50分頃証言台に立った大江健三郎さんの発言を引用する。比較しこの温度差というかレベルの違いを見て欲しい。この裁判をきっかけに教科書から集団自決の軍命が削除になったというのは、本当にありえない話ではないか。


被「著書の『沖縄ノート』には3つの柱、テーマがあると聞いたが」
大「はい。第1のテーマは本土の日本人と沖縄の人の関係について書いた。
  日本の近代化に伴う本土の日本人と沖縄の人の関係、本土でナショナリズム
  が強まるにつれて沖縄にも富国強兵の思想が強まったことなど。
  第2に、戦後の沖縄の苦境について。憲法が認められず大きな基地を抱えて
  いる。そうした沖縄の人たちについて本土の日本人が自分たちの生活の中で
  意識してこなかったので反省したいということです。
  第3は、戦後何年もたって沖縄の渡嘉敷島を守備隊長が訪れた際の現地と
  本土の人の反応に、第1と第2の柱で示したひずみがはっきり表れている
  と書き、これからの日本人が世界とアジアに対して普遍的な人間であるには
  どうすればいいかを考えた。」
 →作家のこの思いは飛ばし読みでは読み取れないと私は思う。   

Posted by shinakosan at 09:31Comments(0)TrackBack(0)沖縄

2007年11月08日

気分が転換されるとき

「いつまでも俺をあの日の姿で閉じ込めようとする群れがいる」



と歌ったのは長年私の心を掴んで話さないCHAGEandASKAだけど、私は本当にこの2007年後半の近頃を閉じ込められたような心持で過ごしていた。留学して帰国する度に感じる温度差とか空回りとか抑圧感とか、そういうもろもろの事に焦りと苛立ちと諦めを感じるのが丁度この「帰国して3ヶ月が過ぎた頃」なのだろう。沖縄に降り立った時のあのハネムーン気分は急降下し、妥協が終着点の数々の大人の事情と向き合い、日々のルーティーンに追われ、古本屋に立ち寄る回数さえ減らして「忙しい」日常を生きていた私。私をあの日のままの姿で閉じ込めようとする不特定多数の人達に彼らのイメージ通りの私を提供することに躍起になってみたり、新しく知り合った人達の私に対するステレオタイプを限りなく完璧に近い形で演じきった後で「あれは間違いだった、本当の私じゃない」と嘆いてみたり。

来年の予定が分からないことが不安の要素になることはこれまで一度だってなかったのに、来年の身の振り方を決められずにいる自分を酷くつまらない人間だと評価し、弁解するように近況を語ってはその場しのぎの毎日を「こなしていた」のだと思う。「沖縄」は私が生を受けた場所であり私のアイデンティティのど真ん中に居座り続ける長所であり急所であり云わば自分自身のような存在で、ここでの生活は私の夢であり現実であり未来であるわけだけど、どうもなんだか「しっくりこない」、というよりはむしろ「しっくりさせてもらえない」、そんな痒い所に手の届かないもどかしさを感じながら、でもそのことにはあえて触れないようにしながら「無視」を決め込んで生活していたと思う。

でもなんだかんだとりあえず、そんなこんなで頑張って落とせる所まで気分を落とすことができたので、多分これからはもっと上手くshinakosanをやっていける気がしてきた。今日は朝昼夕晩と、私のことを独断と偏見でジャッジして「閉じ込めよう」としないばかりか、私を安心させチヤホヤして私が気に入ってる「私」を引き出し表現することを見ていてくれる人達と、それぞれ有意義なリラックスタイムを過ごすことが出来たので、今、心底「ホッ」としてる。終ったことは終ったこと、終ってないことは終ってないこと、決めたことは決めたこと、決められないことは決められないこと、やりたいことはやりたいこと、やれないことはやれないこと。「私」を作った張本人は「私」だということを自覚して群れの中で堂々と生きていくことに楽しみを見出せた感じがしている。私の沖縄への「愛」と「勇気」がどこまで一緒なのかは分からないし、まだまだ「疲れ」という名の影を残す、ペース配分できぬまま走り出した気合だけはあるランナーの様な不安定な印象を与えるかもしれないけど、とりあえず今日からはもう少し自らを労りながら受け入れながらshinakosanと上手く付き合いながらshinakosanしていこうという気持ちになった、良かった。

明日も私と私以外の人全員にとっていい日になりますように。
  

Posted by shinakosan at 11:52Comments(14)TrackBack(0)本日のshinakosan