2008年06月30日
性暴力のその後
性暴力の被害にあったことのある人は、
とてもとても多いと思う。
誰にも言えない、
言っても「良かれと思って」と、
黙るように勧められる、
被害者なのに好奇の目で見られる、
ジャスティスを求めて司法に訴えようとしても、
そもそもの法律やこれまでの事例や、
弁護士や検察や警察の態度では不起訴になったり、
被害者を保護しないこの暴力的なシステムに、
耐えられないほどの苦痛を与えられ起訴を取り下げたり、
あるいは裁判の舞台に上がっても、
裁判官の判断や司法取引によっては、
絶対に納得できない決断が下されたりする。
私たちは例外なく誰だって、
生れ落ちたその瞬間から、
性暴力の被害にあう可能性を持っている、
それなのに何故被害者の側に立って、
性暴力の事件が繰り返されないような、
そういうシステム作りができないのか。
岩国基地所属米兵の集団強かん事件に関する
「大軍法会議」に対する抗議声明
岩国基地所属米兵4人が昨年10月広島市内の19歳の女性を集団強かんした事件について、
同基地の「大軍法会議」は集団強かんが行われた事実を認めない判決を下した。
私たちはこの不当判決に強く抗議する!
●判決内容に対する批判
5月9日にラリー・A・ディーン(20)、
同20日にジャービス・D・レーナー(34)、
6月10日にカール・M・アンダーソン(39)、
6月25日にレネイアス・J・ブラズウェル(25)
に対する判決が言い渡されている。
それぞれ懲役1年、1年6カ月、1年3ヶ月、1年という異常に軽い量刑である。
驚いたことに米軍側の主張によれば、昨年統一軍事裁判法における「強かん」の定義を
「誘拐や暴行を加えて同意なく性行為をすること」と変更したので
「女性が明らかに同意していなかったのに性交渉した」ことは「強かん」にはあたらず、
「不正な性的接触とみだらな行為」("wrongfulsexual contact and indecent acts")にすぎないというのである。
米軍法の変更は「強かん」と「女性の同意なしの性交渉」を別ものとする、
すなわち「女性の同意なしに男性が性交渉を行っても強かんにはあたらない」というものである。
そのような定義の変更は、それ自体が女性の人権を脅かすものである。
しかも広島事件に関しては、米兵たちが車を使用して女性を逃走できない状態に置き、
女性の意志に反して集団で性交渉を強要したという事実が知られている。
「大軍法会議」はこの事実を知りながら、それらが誘拐でも暴力でも威嚇でもないとした。
市民社会における正義や人権に関する常識とはあまりにもかけ離れた認定と言わざるを得ない。
こうして米兵たちは「他の隊員と互いの面前でみだらな行為をしたこと」や
「飲酒などに関する軍紀違反」しか罪と認められず、
1年そこそこの懲役と除隊処分のみとされた。
ブラズウェルは被害者の好意を利用しておびきよせ、
集団強かんに導いた主犯だが、あろうことか、わずか1年のみという量 刑である。
このような不当な判決によって「大軍法会議」は結審し、
未決期間も服役した日数に繰り入れられるため、米兵たちはもうまもなく釈放されることになる。
●軍法会議ゆえの不当判決
このような異常な判決が下されたことに私たちは憤りを禁じ得ない。
国際社会の中で強かん罪がきわだって軽いといわれる日本でさえ、
強かん罪の刑期は最低3年、集団強かん罪は最低4年である。
しかも米国は歴史的には強かんを死刑に値する重罪とみなしてきた。
強かん罪は多くの州で25年~終身刑。強かん犯に死刑を科すことを認めている州もある。
つまり自国の通常の裁判では強かんに重い刑を科す米国が、
外国に駐留する自国軍の軍法会議では集団強かんの犯罪者たちを一年そこそこで放免しようとしているのである。
この判決には、女性差別主義ばかりでなく、
軍隊の優越主義・民族的人種的差別主義が露呈しているといわねばならない。
●被害者を重ねて傷つけた米軍「大軍法会議」
このような軍法会議の不当判決は、正義を求めて証言台に立った被害者を重ねて深く傷つけるものである。
彼女は軍法会議の場で嗚咽し身をふるわせながら誘拐や集団強かんの被害をくりかえし訴えていたという。
が、市民社会の正義が通用しない米軍の軍法によって、
しかも米軍基地という密室の「裁判」によって、彼女の訴えはことごとく退けられた。
彼女は米兵の集団強かんによって大きな打撃を受けただけでなく、
このような米軍法会議によって、セカンドレイプにさらされたのである。
女性に対する暴力を暴力と認定することなく、「他の隊員と互いの面前でみだらな行為をした」といった
米軍内部の「軍紀」問題で処理しようとする判決がいかに彼女を傷つけたことか、被害者の心中は察するにあまりある。
被害者の女性をさらなる苦境に追い込むだけに終わった米軍「大軍法会議」の判決を私たちは黙過することはできない。
私たちは米軍当局にこのような不当判決を即刻撤回するよう要求する。
●日本政府の責任
私たちは、米軍「大軍法会議」の開廷を導くことになった日本政府の責任をも厳しく追及するものである。
米軍人による犯罪の捜査と裁判は、日米地位協定によって常に日米両政府の協議下で行うことが規定されている。
女性の被害届けを受けて捜査を開始した広島県警は、
当初、米兵たちに対する逮捕状を請求して強制捜査を行う方針であると報じられていた。
それが急転し、強制捜査が行われないままの書類送検となり、広島地検は事件を不当にも不起訴処分とした。
その背景には、そして被害者が軍法会議で証言を行う過程では、
米軍と日本政府・関連各省庁各機関との間に何らかの協議と協力があったはずである。
日本政府・関連各省庁各機関が動き、一般市民のあずかりしらない内に捜査権・裁判権は米軍側に譲り渡され、
一般市民から秘匿された米軍基地内の軍法会議でこのような不当判決が下されたのである。
広島事件の不起訴処分・軍法会議における不当判決は、すべての女性・市民の人権にかかわる重大な問題である。
日本政府・関連各省庁各機関はこの不当判決を重く受けとめ、
広島事件の発生から今日にいたるまでこの事件にどのように関与してきたのか、
市民に対して責任をもって明らかにすべきである。
●被害女性に正義を
正義を求める米軍犯罪被害者に対して、
これまで日本政府・関連各省庁各機関からいかなる保護と支援が与えらてきたのだろうか。
私たちは広島事件の被害女性に心を寄せ、彼女が心理的、社会的、法的に
必要とする援助を十分に受けることができていたのかどうかを憂慮している。
事件以降マスメディアは、「合意」だと強弁する米兵の主張や「被害者の供述が曖昧だ」とする
広島県警・地検の主張や「綱紀粛正に努めている」と自賛する米軍の主張ばかりを流してきた。
しかし、被害女性自身の声はほとんど聞こえてこなかった。
わずかながら報じられた軍法会議における証言の様子から察せられるのは
彼女の圧倒的孤立である。彼女を軍法会議におけるセカンドレイプから守る保護策はどうであったか。
彼女への法律的な助言は誰がどのように行っていたのか。
彼女は自分の状況や考えを公にするのを助ける代理人を持つことができたのか。
米軍当局・日本政府・関連各省庁各機関は米兵犯罪被害者に保護と支援を与えるために
事件発生後どのようにその責務を果たしてきたのか、その経過を全面的に市民の前に明らかにするべきである。
岩国基地所属米兵の集団強かんに厳正な裁判と処罰を!
被害女性に正義を!
2008年6月28日 「軍事基地と女性」ネットワーク運営委員会
ちなみに、
この軍事法廷で使われている法律は、「統一軍事裁判法」(Uniform Code of Military Justice)。
該当箇所は、コーネル大学ロースクールのウェブサイト(US Code Collection)
判決全文ではありません。
http://www4.law.cornell.edu/uscode/10/usc_sec_10_00000920----000-.html
§920. Art. 120. Rape and carnal knowledge
(a) Any person subject to this chapter who commits an act of sexual intercourse,
by force and without consent, is guilty of rape and shall be punished by death
or such other punishment as a court-martial may direct.
(b) Any person subject to this chapter who, under circumstances not amounting to rape,
commits an act of sexual intercourse with a person-
(1) who is not that person's spouse; and
(2) who has not attained the age of sixteen years;
is guilty of carnal knowledge and shall be punished as a court-martial may direct.
(c) Penetration, however slight, is sufficient to complete either of these offenses.
(d) (1) In a prosecution under subsection (b), it is an affirmative defense that-
(A) the person with whom the accused committed the act of sexual
intercourse had at the time of the alleged offense attained the age of twelve years; and
(B) the accused reasonably believed that that person had at the
time of the alleged offense attained the age of sixteen years.
(2) The accused has the burden of proving a defense under paragraph
(1) by a preponderance of the evidence.
とてもとても多いと思う。
誰にも言えない、
言っても「良かれと思って」と、
黙るように勧められる、
被害者なのに好奇の目で見られる、
ジャスティスを求めて司法に訴えようとしても、
そもそもの法律やこれまでの事例や、
弁護士や検察や警察の態度では不起訴になったり、
被害者を保護しないこの暴力的なシステムに、
耐えられないほどの苦痛を与えられ起訴を取り下げたり、
あるいは裁判の舞台に上がっても、
裁判官の判断や司法取引によっては、
絶対に納得できない決断が下されたりする。
私たちは例外なく誰だって、
生れ落ちたその瞬間から、
性暴力の被害にあう可能性を持っている、
それなのに何故被害者の側に立って、
性暴力の事件が繰り返されないような、
そういうシステム作りができないのか。
岩国基地所属米兵の集団強かん事件に関する
「大軍法会議」に対する抗議声明
岩国基地所属米兵4人が昨年10月広島市内の19歳の女性を集団強かんした事件について、
同基地の「大軍法会議」は集団強かんが行われた事実を認めない判決を下した。
私たちはこの不当判決に強く抗議する!
●判決内容に対する批判
5月9日にラリー・A・ディーン(20)、
同20日にジャービス・D・レーナー(34)、
6月10日にカール・M・アンダーソン(39)、
6月25日にレネイアス・J・ブラズウェル(25)
に対する判決が言い渡されている。
それぞれ懲役1年、1年6カ月、1年3ヶ月、1年という異常に軽い量刑である。
驚いたことに米軍側の主張によれば、昨年統一軍事裁判法における「強かん」の定義を
「誘拐や暴行を加えて同意なく性行為をすること」と変更したので
「女性が明らかに同意していなかったのに性交渉した」ことは「強かん」にはあたらず、
「不正な性的接触とみだらな行為」("wrongfulsexual contact and indecent acts")にすぎないというのである。
米軍法の変更は「強かん」と「女性の同意なしの性交渉」を別ものとする、
すなわち「女性の同意なしに男性が性交渉を行っても強かんにはあたらない」というものである。
そのような定義の変更は、それ自体が女性の人権を脅かすものである。
しかも広島事件に関しては、米兵たちが車を使用して女性を逃走できない状態に置き、
女性の意志に反して集団で性交渉を強要したという事実が知られている。
「大軍法会議」はこの事実を知りながら、それらが誘拐でも暴力でも威嚇でもないとした。
市民社会における正義や人権に関する常識とはあまりにもかけ離れた認定と言わざるを得ない。
こうして米兵たちは「他の隊員と互いの面前でみだらな行為をしたこと」や
「飲酒などに関する軍紀違反」しか罪と認められず、
1年そこそこの懲役と除隊処分のみとされた。
ブラズウェルは被害者の好意を利用しておびきよせ、
集団強かんに導いた主犯だが、あろうことか、わずか1年のみという量 刑である。
このような不当な判決によって「大軍法会議」は結審し、
未決期間も服役した日数に繰り入れられるため、米兵たちはもうまもなく釈放されることになる。
●軍法会議ゆえの不当判決
このような異常な判決が下されたことに私たちは憤りを禁じ得ない。
国際社会の中で強かん罪がきわだって軽いといわれる日本でさえ、
強かん罪の刑期は最低3年、集団強かん罪は最低4年である。
しかも米国は歴史的には強かんを死刑に値する重罪とみなしてきた。
強かん罪は多くの州で25年~終身刑。強かん犯に死刑を科すことを認めている州もある。
つまり自国の通常の裁判では強かんに重い刑を科す米国が、
外国に駐留する自国軍の軍法会議では集団強かんの犯罪者たちを一年そこそこで放免しようとしているのである。
この判決には、女性差別主義ばかりでなく、
軍隊の優越主義・民族的人種的差別主義が露呈しているといわねばならない。
●被害者を重ねて傷つけた米軍「大軍法会議」
このような軍法会議の不当判決は、正義を求めて証言台に立った被害者を重ねて深く傷つけるものである。
彼女は軍法会議の場で嗚咽し身をふるわせながら誘拐や集団強かんの被害をくりかえし訴えていたという。
が、市民社会の正義が通用しない米軍の軍法によって、
しかも米軍基地という密室の「裁判」によって、彼女の訴えはことごとく退けられた。
彼女は米兵の集団強かんによって大きな打撃を受けただけでなく、
このような米軍法会議によって、セカンドレイプにさらされたのである。
女性に対する暴力を暴力と認定することなく、「他の隊員と互いの面前でみだらな行為をした」といった
米軍内部の「軍紀」問題で処理しようとする判決がいかに彼女を傷つけたことか、被害者の心中は察するにあまりある。
被害者の女性をさらなる苦境に追い込むだけに終わった米軍「大軍法会議」の判決を私たちは黙過することはできない。
私たちは米軍当局にこのような不当判決を即刻撤回するよう要求する。
●日本政府の責任
私たちは、米軍「大軍法会議」の開廷を導くことになった日本政府の責任をも厳しく追及するものである。
米軍人による犯罪の捜査と裁判は、日米地位協定によって常に日米両政府の協議下で行うことが規定されている。
女性の被害届けを受けて捜査を開始した広島県警は、
当初、米兵たちに対する逮捕状を請求して強制捜査を行う方針であると報じられていた。
それが急転し、強制捜査が行われないままの書類送検となり、広島地検は事件を不当にも不起訴処分とした。
その背景には、そして被害者が軍法会議で証言を行う過程では、
米軍と日本政府・関連各省庁各機関との間に何らかの協議と協力があったはずである。
日本政府・関連各省庁各機関が動き、一般市民のあずかりしらない内に捜査権・裁判権は米軍側に譲り渡され、
一般市民から秘匿された米軍基地内の軍法会議でこのような不当判決が下されたのである。
広島事件の不起訴処分・軍法会議における不当判決は、すべての女性・市民の人権にかかわる重大な問題である。
日本政府・関連各省庁各機関はこの不当判決を重く受けとめ、
広島事件の発生から今日にいたるまでこの事件にどのように関与してきたのか、
市民に対して責任をもって明らかにすべきである。
●被害女性に正義を
正義を求める米軍犯罪被害者に対して、
これまで日本政府・関連各省庁各機関からいかなる保護と支援が与えらてきたのだろうか。
私たちは広島事件の被害女性に心を寄せ、彼女が心理的、社会的、法的に
必要とする援助を十分に受けることができていたのかどうかを憂慮している。
事件以降マスメディアは、「合意」だと強弁する米兵の主張や「被害者の供述が曖昧だ」とする
広島県警・地検の主張や「綱紀粛正に努めている」と自賛する米軍の主張ばかりを流してきた。
しかし、被害女性自身の声はほとんど聞こえてこなかった。
わずかながら報じられた軍法会議における証言の様子から察せられるのは
彼女の圧倒的孤立である。彼女を軍法会議におけるセカンドレイプから守る保護策はどうであったか。
彼女への法律的な助言は誰がどのように行っていたのか。
彼女は自分の状況や考えを公にするのを助ける代理人を持つことができたのか。
米軍当局・日本政府・関連各省庁各機関は米兵犯罪被害者に保護と支援を与えるために
事件発生後どのようにその責務を果たしてきたのか、その経過を全面的に市民の前に明らかにするべきである。
岩国基地所属米兵の集団強かんに厳正な裁判と処罰を!
被害女性に正義を!
2008年6月28日 「軍事基地と女性」ネットワーク運営委員会
ちなみに、
この軍事法廷で使われている法律は、「統一軍事裁判法」(Uniform Code of Military Justice)。
該当箇所は、コーネル大学ロースクールのウェブサイト(US Code Collection)
判決全文ではありません。
http://www4.law.cornell.edu/uscode/10/usc_sec_10_00000920----000-.html
§920. Art. 120. Rape and carnal knowledge
(a) Any person subject to this chapter who commits an act of sexual intercourse,
by force and without consent, is guilty of rape and shall be punished by death
or such other punishment as a court-martial may direct.
(b) Any person subject to this chapter who, under circumstances not amounting to rape,
commits an act of sexual intercourse with a person-
(1) who is not that person's spouse; and
(2) who has not attained the age of sixteen years;
is guilty of carnal knowledge and shall be punished as a court-martial may direct.
(c) Penetration, however slight, is sufficient to complete either of these offenses.
(d) (1) In a prosecution under subsection (b), it is an affirmative defense that-
(A) the person with whom the accused committed the act of sexual
intercourse had at the time of the alleged offense attained the age of twelve years; and
(B) the accused reasonably believed that that person had at the
time of the alleged offense attained the age of sixteen years.
(2) The accused has the burden of proving a defense under paragraph
(1) by a preponderance of the evidence.
2008年06月30日
Kalimakuhilaniさん
ねーねー、そういえばMerrie Monarch 2008のMiss Aloha(ミスアロハといってもビューティーコンテストではなくフラのコンテストだよ)はKalimakuhilani Akemi Kalamanamana Suganumaさん
だったさーね、友達がYou Tubeに動画があるよーと教えてくれたので早速見てみたよ。
はっさびよー、素敵すぎるぅー
。空気を張り詰め震わすその声に、聴衆たちは皆ビリビリしびれていたはずねー!!画面越しでも鳥肌立つしー。ハワイ語賞もこの方だというのも納得じゃない??(ハワイ語そんなに分からないけどさー、笑)迫力満点だよ!!
20歳でこんなことが出来ちゃう方がハワイにいるんだねー。彼女は確かハワイ大学の学生さん。フラを通してカルチャーや言語の継承ができたり、先住民に学ぶ生き方が出来るなんてすごくいいなーと思うよ!!(そういう意味では沖縄の歌三線もいい線行ってるよねー!!芸能文化からの人権復興運動ルネッサンス
はまだ起こってないけれど、住民達のリスペクトは一身に受けてるもん。)
そういえばさー、彼女のひいおばーさんはあのハワイ語辞典を作ったり、ハワイの民話を収集したり、ビーショップミュージアムで働いたりしたかの有名なMary Kawena Kupuiさんってよ!!あいぇーなー
!!
だったさーね、友達がYou Tubeに動画があるよーと教えてくれたので早速見てみたよ。 はっさびよー、素敵すぎるぅー
。空気を張り詰め震わすその声に、聴衆たちは皆ビリビリしびれていたはずねー!!画面越しでも鳥肌立つしー。ハワイ語賞もこの方だというのも納得じゃない??(ハワイ語そんなに分からないけどさー、笑)迫力満点だよ!! 20歳でこんなことが出来ちゃう方がハワイにいるんだねー。彼女は確かハワイ大学の学生さん。フラを通してカルチャーや言語の継承ができたり、先住民に学ぶ生き方が出来るなんてすごくいいなーと思うよ!!(そういう意味では沖縄の歌三線もいい線行ってるよねー!!芸能文化からの人権復興運動ルネッサンス
はまだ起こってないけれど、住民達のリスペクトは一身に受けてるもん。) そういえばさー、彼女のひいおばーさんはあのハワイ語辞典を作ったり、ハワイの民話を収集したり、ビーショップミュージアムで働いたりしたかの有名なMary Kawena Kupuiさんってよ!!あいぇーなー
!! 2008年06月27日
戦争、慰安婦、私
去年韓国の米軍基地を視察しに行った時のメンバーで、
南風原で「やさい畑」という、 ヘルシーで美味しいレストランをしている照屋久子さんという方がいる。
先日彼女からこんなメールが届いた。
鄭光均(ジョン=ガンギュン)オカリナコンサート のお誘い
今年も6月23日の沖縄慰霊の日がやってきます。
63年の年月を経て、あの大戦は沖縄が被害を受けた「沖縄戦」だけでなく、
広くアジア・世界に目を向けると加害者でもあった「沖縄戦」の立場も考えるようになりました。
対戦中、私の住む南風原町にも強制連行された朝鮮の男女の人々がいたのです。
教科書改ざん、平和憲法9条改法の問題とともに国家による弱いものいじめである「戦争」を
再び起こさないための行動を国民の一人の義務として考えていかなくてはならないと思います。
世界の平和を願ってオカリナの名手「光均氏(ジョン=カンギュン)のコンサート」を計画しました。どうぞご参加ください。
「慰安婦」の「遠くで起きた悲しい出来事」というイメージを、私は払拭できないでいた。慰安所が何百箇所も沖縄にあったこと、私の家の周りにも沢山あったことを、私は長いこと知らなかった。そして従軍慰安婦として生きさせられていた人の中には朝鮮から連れてこられた人、沖縄から集められた人がいたこと、私はそういうことを、本当に知らないで生きようとしていたんだということに気がついた。
しかし考えてみると沖縄県による「平和の礎」、渡嘉敷島の「アリラン慰霊のモニュメント」、久米島の「久米島在朝鮮人痛恨の碑」など、私には朝鮮人軍夫や朝鮮人従軍慰安婦について考える機会は沢山あったはずだ、何故見てこなかったのか。
数千とも数万とも言われる朝鮮人軍夫を私は見ないこにすることで被害者の皮を被ってはいなかっただろうか。そもそも私は戦争体験者ではないというのに。
ジョン・ガンギュンさんが沖縄でコンサートを開いたのは何もこれが初めてのことではない。沖縄請恨之碑建立一周年にオカリナの演奏をしたのは彼だった、私はロンドンにいたので演奏を聴いていなかったが、大変よい評判を沢山聞いていたので是非私もこの耳でお聞きたいと思っていて、そんな矢先のコンサートだったので、私はすぐさま参加の意向を伝えその日を楽しみに待ちわびた。
ジョン・ガンギュンさんの演奏は、私を私でない誰かにするに十分すぎるほど十分な魔力を持つものだったと言ってもいいかもしれない。私はちっとも私でない誰かのことを内に感じながら、演奏を聞き、「素直に泣けたらいいのにな」という切ない気持ちになったりした。言葉も分からぬ異国の地につれてこられ、帰るすべはなく、戦地で性を奪われ続けることで生を保たなくてはいけなかったという悲劇、明らかに生から遠く死に繋がっているその儚い一日一日を紡ぐ事でしか生を感じられないという悲劇、いや、悲劇とは悲劇と関係のない安全な私だからこそ発せられる言葉なのだろう。
最もプライベートであるはずの性を、最もプライベートから遠いポリティックスの、それもそのポリティクスの最も暴力的で非人道的な戦争という側面を使って蹂躙していく行為。その過去を、そしてその現在を知らずして戦争を語る哀れな私。私は私である以上、私以上の体験は出来ない、私が寄り添えるのは想像という疑似体験でしかない、私がシンクロしたつもりになること、私が死んだ慰安婦の魂を感じたつもりになり打ちひしがれること、その一つ一つはあくまで偽だ、私はなにも、知らない。
しかし、知らないから、知らないからこそ感じられる空気があるとしたら、私が感じることを許されるその空気を、私は吸い込み私の血に乗せて私の全身をめぐらせたいと思う。
オカリナが、朝鮮の曲から沖縄の曲に移り、そして日本の童謡のその「海は広いな大きいな」という旋律を奏でた後、こんな説明があった。「慰安婦の中には九州の炭鉱から連れてこられた人たちもいました。」日本人慰安婦の存在、人々の注目を集めない日本人慰安婦の存在やその透明ともいえる存在感が物語るものもまた、戦争がいかに愚かで矛盾に富み残酷で取り返しがつかないものかということに尽きると思う。
20日の琉球新報に掲載されていた共同通信の記事には、関東学院大学の林博史教授が英国立公文書館で発見した「慰安婦を看護婦に」という文書の要旨が載っていた。
http://www.47news.jp/CN/200806/CN2008061901000625.html
敗戦後、慰安婦を看護婦に
旧軍の命令、文書で初確認
第2次大戦での日本の敗戦直後、旧海軍が日本人慰安婦を、軍病院の補助的な看護婦として雇用するよう命じた通達が、19日までに、連合国側が暗号解読して作成した英公文書で判明した。
研究者らは、慰安婦が看護婦に雇用された際の身分が軍属だった可能性が高いとみている。敗戦時に軍属雇用するという配慮から、軍が戦中に慰安婦管理に事実上深くかかわっていたとする見方を補強する貴重な史料としている。
従軍慰安婦問題では、政府の謝罪や補償の根拠となる当局の関与の度合いが問題となっており、今後の議論に影響を与えそうだ。「看護婦」とすることで、当局が慰安婦の存在を連合国側から隠ぺいしようとした可能性も指摘されている。
慰安婦を看護婦としたことは元兵士らの証言や、オーストラリア人ジャーナリストの著書の中で出典不明で紹介されたことがあったが、その命令が原文に近い形で確認されたのは初めてとみられる。
関東学院大の林博史教授(現代史)が英国立公文書館で発見した。
(共同)2008/06/19 18:21
敗戦後に慰安婦の身分を看護婦に変えて国に帰すことは一体何を表すのか。林らは看護婦の身分が軍属だった可能性が高いと見ている。これまでの「軍命の証拠がない」と言う自慰史観から発展する「軍強制の集団自決はなかった」「強制連行の従軍慰安婦はいなかった」という擬似理論が、音を立てて崩れ落ちるのも時間の問題であるだろう、そうであって欲しい。
米下院は2007年7月に公式謝罪を日本政府に求める決議を可決し、カナダやオランダの議会、そしてEU議会でも同様の決議が可決されている。
日本はこれ以上責任を先延ばしにしたり、安倍元首相が流行らせた虫唾が走る戦後レジームからの脱却のための帝国の虚偽の歴史を蔓延させたりするのではなく、サバイバーの口から語られるオーラルヒストリーを通して、個と個が繋がりあう、アカデミックで、人間的で、過去から未来に繋がる繊細で本質的な日本の歴史を紡いで行く道を選択した方がよいのではないか。
先日お会いした、早稲田大学の博士課程で「沖縄戦と朝鮮人」をテーマに研究している洪ユン伸さんのことを思い出した。宮古で精力的にフィールドワークを行い、「女性・戦争・人権」学会をはじめこの世に素晴らしい論文を産み出し続けているリサーチャーの彼女が話してくれた、宮古の慰安所について彼女が書いたものを、ここに紹介する。
3万人もの日本兵が突如として島にやってきて住民の生活の場に16箇所の慰安所を作ったこと、今では毎年数多くの元慰安婦たちがその生涯に幕を閉じていっていること、彼らがその命の灯を落とす前に、慰安婦の祈念碑を建て、そこを祈りの場にしたいという彼女の思い、それは過去の戦争責任を追及するものでありながら、現在の戦争を分析するもので、戦争とはなにか、国家とはなにか、そして人間とはなにかということを、立ち止まって考えなければならない場所、いや、立ち止まって考えてみたくなる真剣な場所になると思う。
私が稼げるわずかなお金をこういう形で使うことが出来ること、こうやって関わる機会を与えてくださったユン伸さんや「宮古島に日本軍「慰安婦」の祈念碑を建てる会準備会」の皆さんに、深く深く感謝したいと思う。
思いを、形にすることについて
―宮古島に建つ日本軍「慰安婦」のための碑に係わりながらー 洪ユン伸
一つの思いが形になる際、そこには、何が残るのか。宮古島に建つ日本軍「慰安婦」のための碑に関わって一年が過ぎようとしている。その間、私は、「何故、沖縄なのか」「何故、宮古島なのか」という質問に度々出会い、政治的な目的や背景があるのではないかと批判され、時には、「女性を偶像化するな」とも言われてきたものだ。この碑をめぐる疑問と質問に、今日は答えたい。
私/私たちは、ただ、思いに触れて、その思いを思うがままに行動に移った一人、一人の個人であると。ごく単純に、日本軍「慰安婦」のことを忘れず、彼女の休んだ場所に大きな石を置いて、誰か「朝鮮」から人が来ないかと待っている素朴な農民がいた。
そして、彼の証言を聞き、その思いに触れた者達が集まってきたのだと。それで納得いかないと言うなら、今日は、実際に起きた出会いを語ることで、宮古島に建つ日本軍「慰安婦」のための碑に関わった経緯を説明しよう。実行委員会のメンバーとしてではなく、何の目的も持たない私自身の思い出として。
「沖縄戦と朝鮮人」の関係を研究している私は、2006年10月と12月宮古島を訪れた。韓国でインタビューをした朝鮮人軍夫のうち、最も病弱な方が宮古島に強制動員されていたからである。私と宮古島の縁は、このような一人の朝鮮人軍夫との出会いで始まった。部屋に入るや否や「では始めましょう」と正座をしたこのお祖父さんは、始終、姿勢を正し冷静な語調で話しをしてくれたが、何処か不安そうに見えた。
「動物のなかで一番信用できないのは人間だ」と口癖のような言葉が、私を不安にさせたかもしれない。祖父さんは、何故か、「慰安所」の話だけは、すべて日本語で語っていた。
傍でただ話しを聞くだけだったお祖母さんが、「私は『挺身隊』にいかされると聞き、顔もしらない彼と結婚したのよ」と呟いた一言で疑問は解けたが、あの深いため息や、彼のインタビューが終わるまでイライラを禁じえないお祖母さんの、どこか寂しそうな横顔を、私は忘れることが出来ない。
インタビューの終わり頃、お祖父さんが前日までは座ってご飯も食べないくらい元気を失っていたことを知らされた。お祖母さんは何と退院の直後であったことも知った。沖縄に出来た「恨の碑」の除幕式に行きたかったけれど、体調が悪いためいけなかったと寂しげに語るお祖父さんだった。そのとき宮古島の写真でも送ろうとひそかに決めていた自分がいた。
こうして、私は、宮古島に足を運ぶことになった。調査を始めると、思いもよらない証言や人の思に出会った。この島では、井戸など住民の生活がある空間のすぐ傍に「慰安所」があったということが分かった。
3万人もの日本兵が駐屯していたため、住民より軍が目立つほどだったという。沖縄本土と違い、山の少なかった宮古島では、軍が組織的に作った「慰安所」を、住民の目から隠すことは不可能に近かったことも分かった。
生活空間のすぐ傍にいた朝鮮人軍夫や「慰安婦」の方々の苦労を、宮古島の住民は、生々しく覚えていた。この島で、私は、しばしばあの朝鮮人元軍夫とその妻の寂しげな横顔を思い出させる証言者に出会ったのだが、それは、戦争を経験したお祖父さんの顔だったり、この島で何度も危機にさらされたお祖母さんの横顔だったりした。
その一人が、与那覇博敏さんである。与那覇博敏さんは、戦時中宮古島で日本軍の司令部が置かれていた地域に住んでいた。そして、彼の実家のすぐ傍に、長屋の慰安所があり、朝鮮人の女性数人が居たという。水の貴重な島では洗濯をするにしろ、井戸に行かねばならない。彼女たちは、坂道を登ってその井戸まで洗濯物に出かけた。
そしていつも、与那覇さんの実家の前にあった木の下で腰を下ろして休んでいたという。与那覇さんは、彼女たちのことを忘れまいと、石を置いていると話してくれた。そして、二度目の調査の際に、どうか石に名前を韓国語で刻みたいと強く願われたのである。
私は、2006年ユン先生の沖縄調査に偶然、同行する機会を得た。宮古島調査からの帰りだった。ユン先生に、与那覇さんという宮古島の人の思いを伝えたところ「彼のように自分を覚えている人が居ることを知ったら、お祖母さんたちはどんなに喜ぶでしょうか」と、碑をたてることにすぐ賛同してくださった。
こうして、2007年5月、ユン先生を団長とする「韓国・日本・沖縄」共同調査団が、宮古島に足を運ぶことになった。新聞記事を読んで、那覇滞在・宮古戦体験者の方々からも証言したいと声が寄せられた。
同調査団に参加し、与那覇さんの話に触れた「聞き手」を中心に、直ちに募金活動が始まった。2008年、二度目の共同調査を実施。合計15箇所の「慰安所」がこの島にあったことを確認した。宮古島に動員された「慰安婦」の方が韓国にて生存していることも確認された。現在、宮古島・東京・韓国に実行委員会が結成され、広く呼びかけようとしている。
2008年8月15日、私たちは与那覇さんの土地に「日本軍『慰安婦』のための碑」を建てる。私たちは女性を形象化(表象化)する何の彫刻も建てないことにしている。ただそこには、日本軍「慰安婦」であることを強いられた韓国のお祖母さんたちの多くが自分をたとえ、好んでいた花、ドラジコット(キキョウの花)を一輪置く。
宮古島の暑い夏、かつて彼女たちがそうだったように、「希望の木」(2007年5月植木)がこの石に、大きな木陰を作ってくれるだろう。そして、いつか、あの木の下で休もうと、腰を下ろす旅人は、この真っ黒い琉球岩石を、守っているかのように囲んでいる私たちのメッセージと、小さいキキョウの花の彫刻に出会える。そして「慰安婦」となった女性たちの10つの言語 で刻まれた次の言葉を読むだろう。
「日本軍による性暴力被害を受けた一人ひとりの女性の苦しみを記憶し、全世界の戦時性暴力の被害者を悼み、二度と戦争のない平和な世界を祈ります。」
旅人がこの祈りの文を読み終わった後に、あの与那覇さんの石に目を留め、この場所に連れてこられた女性たちへ思いを馳せてくれればよい。基地があるゆえに奪われた夢多かりし少年の思い出と、「慰安婦」と同じ国から駆けつけ「希望の木」を植えた人々の手触りの暖かさに、ただ一輪でも可憐な花は、寂しく見えるはずがない。
この場にたまたま訪ねた人々の思いが、そもまま「祈り文」となるだろう。これらの営みは、決して形などに留まることのない未来への強い希望として働きかけるはずだ。人の思いは形などに留められない。ただ生きているその人自身の「思い」そのもの、まぎれもないごく普通の人間の思いそのものが、歴史を動かす力となることを、私は、多くの日本軍「慰安婦」証言者や沖縄戦の語り部に学んだ。それを信じている。
「あなたの思いとして、募金と寄付を、募ります。」
宮古島に日本軍「慰安婦」の祈念碑を建てる会
代表:与那覇博敏・尹貞玉・中原道子・高里鈴代
●賛同金:一口2千円。
●郵便振替口座:宮古島慰霊碑建立委員会00150-9-540937
「宮古島の祈念碑は、世界が戦争の惨禍を受けず、正義がゆたかな川のように流れ、
平和が春の日のように温かい世を願う私たちの祈りを象徴するでしょう。」
(尹貞玉、第八回アジア連帯会議にて)
南風原で「やさい畑」という、 ヘルシーで美味しいレストランをしている照屋久子さんという方がいる。
先日彼女からこんなメールが届いた。
鄭光均(ジョン=ガンギュン)オカリナコンサート のお誘い
今年も6月23日の沖縄慰霊の日がやってきます。
63年の年月を経て、あの大戦は沖縄が被害を受けた「沖縄戦」だけでなく、
広くアジア・世界に目を向けると加害者でもあった「沖縄戦」の立場も考えるようになりました。
対戦中、私の住む南風原町にも強制連行された朝鮮の男女の人々がいたのです。
教科書改ざん、平和憲法9条改法の問題とともに国家による弱いものいじめである「戦争」を
再び起こさないための行動を国民の一人の義務として考えていかなくてはならないと思います。
世界の平和を願ってオカリナの名手「光均氏(ジョン=カンギュン)のコンサート」を計画しました。どうぞご参加ください。
「慰安婦」の「遠くで起きた悲しい出来事」というイメージを、私は払拭できないでいた。慰安所が何百箇所も沖縄にあったこと、私の家の周りにも沢山あったことを、私は長いこと知らなかった。そして従軍慰安婦として生きさせられていた人の中には朝鮮から連れてこられた人、沖縄から集められた人がいたこと、私はそういうことを、本当に知らないで生きようとしていたんだということに気がついた。
しかし考えてみると沖縄県による「平和の礎」、渡嘉敷島の「アリラン慰霊のモニュメント」、久米島の「久米島在朝鮮人痛恨の碑」など、私には朝鮮人軍夫や朝鮮人従軍慰安婦について考える機会は沢山あったはずだ、何故見てこなかったのか。
数千とも数万とも言われる朝鮮人軍夫を私は見ないこにすることで被害者の皮を被ってはいなかっただろうか。そもそも私は戦争体験者ではないというのに。
ジョン・ガンギュンさんが沖縄でコンサートを開いたのは何もこれが初めてのことではない。沖縄請恨之碑建立一周年にオカリナの演奏をしたのは彼だった、私はロンドンにいたので演奏を聴いていなかったが、大変よい評判を沢山聞いていたので是非私もこの耳でお聞きたいと思っていて、そんな矢先のコンサートだったので、私はすぐさま参加の意向を伝えその日を楽しみに待ちわびた。
ジョン・ガンギュンさんの演奏は、私を私でない誰かにするに十分すぎるほど十分な魔力を持つものだったと言ってもいいかもしれない。私はちっとも私でない誰かのことを内に感じながら、演奏を聞き、「素直に泣けたらいいのにな」という切ない気持ちになったりした。言葉も分からぬ異国の地につれてこられ、帰るすべはなく、戦地で性を奪われ続けることで生を保たなくてはいけなかったという悲劇、明らかに生から遠く死に繋がっているその儚い一日一日を紡ぐ事でしか生を感じられないという悲劇、いや、悲劇とは悲劇と関係のない安全な私だからこそ発せられる言葉なのだろう。
最もプライベートであるはずの性を、最もプライベートから遠いポリティックスの、それもそのポリティクスの最も暴力的で非人道的な戦争という側面を使って蹂躙していく行為。その過去を、そしてその現在を知らずして戦争を語る哀れな私。私は私である以上、私以上の体験は出来ない、私が寄り添えるのは想像という疑似体験でしかない、私がシンクロしたつもりになること、私が死んだ慰安婦の魂を感じたつもりになり打ちひしがれること、その一つ一つはあくまで偽だ、私はなにも、知らない。
しかし、知らないから、知らないからこそ感じられる空気があるとしたら、私が感じることを許されるその空気を、私は吸い込み私の血に乗せて私の全身をめぐらせたいと思う。
オカリナが、朝鮮の曲から沖縄の曲に移り、そして日本の童謡のその「海は広いな大きいな」という旋律を奏でた後、こんな説明があった。「慰安婦の中には九州の炭鉱から連れてこられた人たちもいました。」日本人慰安婦の存在、人々の注目を集めない日本人慰安婦の存在やその透明ともいえる存在感が物語るものもまた、戦争がいかに愚かで矛盾に富み残酷で取り返しがつかないものかということに尽きると思う。
20日の琉球新報に掲載されていた共同通信の記事には、関東学院大学の林博史教授が英国立公文書館で発見した「慰安婦を看護婦に」という文書の要旨が載っていた。
http://www.47news.jp/CN/200806/CN2008061901000625.html
敗戦後、慰安婦を看護婦に
旧軍の命令、文書で初確認
第2次大戦での日本の敗戦直後、旧海軍が日本人慰安婦を、軍病院の補助的な看護婦として雇用するよう命じた通達が、19日までに、連合国側が暗号解読して作成した英公文書で判明した。
研究者らは、慰安婦が看護婦に雇用された際の身分が軍属だった可能性が高いとみている。敗戦時に軍属雇用するという配慮から、軍が戦中に慰安婦管理に事実上深くかかわっていたとする見方を補強する貴重な史料としている。
従軍慰安婦問題では、政府の謝罪や補償の根拠となる当局の関与の度合いが問題となっており、今後の議論に影響を与えそうだ。「看護婦」とすることで、当局が慰安婦の存在を連合国側から隠ぺいしようとした可能性も指摘されている。
慰安婦を看護婦としたことは元兵士らの証言や、オーストラリア人ジャーナリストの著書の中で出典不明で紹介されたことがあったが、その命令が原文に近い形で確認されたのは初めてとみられる。
関東学院大の林博史教授(現代史)が英国立公文書館で発見した。
(共同)2008/06/19 18:21
敗戦後に慰安婦の身分を看護婦に変えて国に帰すことは一体何を表すのか。林らは看護婦の身分が軍属だった可能性が高いと見ている。これまでの「軍命の証拠がない」と言う自慰史観から発展する「軍強制の集団自決はなかった」「強制連行の従軍慰安婦はいなかった」という擬似理論が、音を立てて崩れ落ちるのも時間の問題であるだろう、そうであって欲しい。
米下院は2007年7月に公式謝罪を日本政府に求める決議を可決し、カナダやオランダの議会、そしてEU議会でも同様の決議が可決されている。
日本はこれ以上責任を先延ばしにしたり、安倍元首相が流行らせた虫唾が走る戦後レジームからの脱却のための帝国の虚偽の歴史を蔓延させたりするのではなく、サバイバーの口から語られるオーラルヒストリーを通して、個と個が繋がりあう、アカデミックで、人間的で、過去から未来に繋がる繊細で本質的な日本の歴史を紡いで行く道を選択した方がよいのではないか。
先日お会いした、早稲田大学の博士課程で「沖縄戦と朝鮮人」をテーマに研究している洪ユン伸さんのことを思い出した。宮古で精力的にフィールドワークを行い、「女性・戦争・人権」学会をはじめこの世に素晴らしい論文を産み出し続けているリサーチャーの彼女が話してくれた、宮古の慰安所について彼女が書いたものを、ここに紹介する。
3万人もの日本兵が突如として島にやってきて住民の生活の場に16箇所の慰安所を作ったこと、今では毎年数多くの元慰安婦たちがその生涯に幕を閉じていっていること、彼らがその命の灯を落とす前に、慰安婦の祈念碑を建て、そこを祈りの場にしたいという彼女の思い、それは過去の戦争責任を追及するものでありながら、現在の戦争を分析するもので、戦争とはなにか、国家とはなにか、そして人間とはなにかということを、立ち止まって考えなければならない場所、いや、立ち止まって考えてみたくなる真剣な場所になると思う。
私が稼げるわずかなお金をこういう形で使うことが出来ること、こうやって関わる機会を与えてくださったユン伸さんや「宮古島に日本軍「慰安婦」の祈念碑を建てる会準備会」の皆さんに、深く深く感謝したいと思う。
思いを、形にすることについて
―宮古島に建つ日本軍「慰安婦」のための碑に係わりながらー 洪ユン伸
一つの思いが形になる際、そこには、何が残るのか。宮古島に建つ日本軍「慰安婦」のための碑に関わって一年が過ぎようとしている。その間、私は、「何故、沖縄なのか」「何故、宮古島なのか」という質問に度々出会い、政治的な目的や背景があるのではないかと批判され、時には、「女性を偶像化するな」とも言われてきたものだ。この碑をめぐる疑問と質問に、今日は答えたい。
私/私たちは、ただ、思いに触れて、その思いを思うがままに行動に移った一人、一人の個人であると。ごく単純に、日本軍「慰安婦」のことを忘れず、彼女の休んだ場所に大きな石を置いて、誰か「朝鮮」から人が来ないかと待っている素朴な農民がいた。
そして、彼の証言を聞き、その思いに触れた者達が集まってきたのだと。それで納得いかないと言うなら、今日は、実際に起きた出会いを語ることで、宮古島に建つ日本軍「慰安婦」のための碑に関わった経緯を説明しよう。実行委員会のメンバーとしてではなく、何の目的も持たない私自身の思い出として。
「沖縄戦と朝鮮人」の関係を研究している私は、2006年10月と12月宮古島を訪れた。韓国でインタビューをした朝鮮人軍夫のうち、最も病弱な方が宮古島に強制動員されていたからである。私と宮古島の縁は、このような一人の朝鮮人軍夫との出会いで始まった。部屋に入るや否や「では始めましょう」と正座をしたこのお祖父さんは、始終、姿勢を正し冷静な語調で話しをしてくれたが、何処か不安そうに見えた。
「動物のなかで一番信用できないのは人間だ」と口癖のような言葉が、私を不安にさせたかもしれない。祖父さんは、何故か、「慰安所」の話だけは、すべて日本語で語っていた。
傍でただ話しを聞くだけだったお祖母さんが、「私は『挺身隊』にいかされると聞き、顔もしらない彼と結婚したのよ」と呟いた一言で疑問は解けたが、あの深いため息や、彼のインタビューが終わるまでイライラを禁じえないお祖母さんの、どこか寂しそうな横顔を、私は忘れることが出来ない。
インタビューの終わり頃、お祖父さんが前日までは座ってご飯も食べないくらい元気を失っていたことを知らされた。お祖母さんは何と退院の直後であったことも知った。沖縄に出来た「恨の碑」の除幕式に行きたかったけれど、体調が悪いためいけなかったと寂しげに語るお祖父さんだった。そのとき宮古島の写真でも送ろうとひそかに決めていた自分がいた。
こうして、私は、宮古島に足を運ぶことになった。調査を始めると、思いもよらない証言や人の思に出会った。この島では、井戸など住民の生活がある空間のすぐ傍に「慰安所」があったということが分かった。
3万人もの日本兵が駐屯していたため、住民より軍が目立つほどだったという。沖縄本土と違い、山の少なかった宮古島では、軍が組織的に作った「慰安所」を、住民の目から隠すことは不可能に近かったことも分かった。
生活空間のすぐ傍にいた朝鮮人軍夫や「慰安婦」の方々の苦労を、宮古島の住民は、生々しく覚えていた。この島で、私は、しばしばあの朝鮮人元軍夫とその妻の寂しげな横顔を思い出させる証言者に出会ったのだが、それは、戦争を経験したお祖父さんの顔だったり、この島で何度も危機にさらされたお祖母さんの横顔だったりした。
その一人が、与那覇博敏さんである。与那覇博敏さんは、戦時中宮古島で日本軍の司令部が置かれていた地域に住んでいた。そして、彼の実家のすぐ傍に、長屋の慰安所があり、朝鮮人の女性数人が居たという。水の貴重な島では洗濯をするにしろ、井戸に行かねばならない。彼女たちは、坂道を登ってその井戸まで洗濯物に出かけた。
そしていつも、与那覇さんの実家の前にあった木の下で腰を下ろして休んでいたという。与那覇さんは、彼女たちのことを忘れまいと、石を置いていると話してくれた。そして、二度目の調査の際に、どうか石に名前を韓国語で刻みたいと強く願われたのである。
私は、2006年ユン先生の沖縄調査に偶然、同行する機会を得た。宮古島調査からの帰りだった。ユン先生に、与那覇さんという宮古島の人の思いを伝えたところ「彼のように自分を覚えている人が居ることを知ったら、お祖母さんたちはどんなに喜ぶでしょうか」と、碑をたてることにすぐ賛同してくださった。
こうして、2007年5月、ユン先生を団長とする「韓国・日本・沖縄」共同調査団が、宮古島に足を運ぶことになった。新聞記事を読んで、那覇滞在・宮古戦体験者の方々からも証言したいと声が寄せられた。
同調査団に参加し、与那覇さんの話に触れた「聞き手」を中心に、直ちに募金活動が始まった。2008年、二度目の共同調査を実施。合計15箇所の「慰安所」がこの島にあったことを確認した。宮古島に動員された「慰安婦」の方が韓国にて生存していることも確認された。現在、宮古島・東京・韓国に実行委員会が結成され、広く呼びかけようとしている。
2008年8月15日、私たちは与那覇さんの土地に「日本軍『慰安婦』のための碑」を建てる。私たちは女性を形象化(表象化)する何の彫刻も建てないことにしている。ただそこには、日本軍「慰安婦」であることを強いられた韓国のお祖母さんたちの多くが自分をたとえ、好んでいた花、ドラジコット(キキョウの花)を一輪置く。
宮古島の暑い夏、かつて彼女たちがそうだったように、「希望の木」(2007年5月植木)がこの石に、大きな木陰を作ってくれるだろう。そして、いつか、あの木の下で休もうと、腰を下ろす旅人は、この真っ黒い琉球岩石を、守っているかのように囲んでいる私たちのメッセージと、小さいキキョウの花の彫刻に出会える。そして「慰安婦」となった女性たちの10つの言語 で刻まれた次の言葉を読むだろう。
「日本軍による性暴力被害を受けた一人ひとりの女性の苦しみを記憶し、全世界の戦時性暴力の被害者を悼み、二度と戦争のない平和な世界を祈ります。」
旅人がこの祈りの文を読み終わった後に、あの与那覇さんの石に目を留め、この場所に連れてこられた女性たちへ思いを馳せてくれればよい。基地があるゆえに奪われた夢多かりし少年の思い出と、「慰安婦」と同じ国から駆けつけ「希望の木」を植えた人々の手触りの暖かさに、ただ一輪でも可憐な花は、寂しく見えるはずがない。
この場にたまたま訪ねた人々の思いが、そもまま「祈り文」となるだろう。これらの営みは、決して形などに留まることのない未来への強い希望として働きかけるはずだ。人の思いは形などに留められない。ただ生きているその人自身の「思い」そのもの、まぎれもないごく普通の人間の思いそのものが、歴史を動かす力となることを、私は、多くの日本軍「慰安婦」証言者や沖縄戦の語り部に学んだ。それを信じている。
「あなたの思いとして、募金と寄付を、募ります。」
宮古島に日本軍「慰安婦」の祈念碑を建てる会
代表:与那覇博敏・尹貞玉・中原道子・高里鈴代
●賛同金:一口2千円。
●郵便振替口座:宮古島慰霊碑建立委員会00150-9-540937
「宮古島の祈念碑は、世界が戦争の惨禍を受けず、正義がゆたかな川のように流れ、
平和が春の日のように温かい世を願う私たちの祈りを象徴するでしょう。」
(尹貞玉、第八回アジア連帯会議にて)
2008年06月27日
泡瀬干潟を守りたい人は署名して!


お友達からのメッセージ、
私もウカツにとか言いながら結構マジに内気に署名します☆
泡瀬干潟について知らない人は私が前に書いた日記を読んでみてね☆
http://shinakosan.ti-da.net/e2177371.html
http://shinakosan.ti-da.net/e2102645.html
さて、素敵なキャンペーンのお知らせですよ!
私達の島が【写真参照】みたいに姿を変えてしまう前に!
「海を守ンジャー☆出動せよっ!!」
■泡瀬干潟■
★沖縄の海を守る「内気&ウカツな1万人キャンペーン♪」★
干潟はパッと見ると「白い砂浜」に比べて地味ですが
沖縄の美しいサンゴや魚達の卵を育む為に必要なので
「海のゆりかご」と呼ばれています。
しかも泡瀬干潟は
ラムサール条約に登録された那覇の「漫湖公園」よりも
数多くの渡り鳥や貴重種、絶滅危惧種などが発見されています。
だけど今、沖縄の泡瀬干潟は
市民が赤字を背負う事も既に明らかなのに、
買い取る人もいない埋め立て地を作る為に
自然破壊しながら工事が進んでいます。
♪だけどもだっけっど!!
先の県議選で「埋立反対」を表明した議員が半数に上りました!
奥さん、今がチャンスです!笑
広島の「ハチの干潟」では
若干20歳の青年が1人で15000人の署名を集め、
議会に提出、埋立を止めた例があります!
自分の口で説明したり署名を集めるのは難しいけど
「たった1枚(10名)なら友達と家族で埋まるっしょ?」という
内気でもウカツにも集まる署名にご協力下さい!
ここに署名をする事は、
この干潟が守られた時に
「沖縄の海を守った1人」として名を残す事ですので
ジャンジャンバリバリ、ハリキッテどうぞ~!!(≧▽≦)/
【署名説明文(写真付)】http://www.awase.net/maekawa/shomeisetumei.pdf
【署名用紙】http://www.awase.net/maekawa/shomei.pdf
★泡瀬干潟を守る連絡会HP→http://awase.net/maekawa/sinindex.htm
2008年06月27日
ローリー・トビー・エディソン写真展

ローリー・トビー・エディソン写真展
東京都港区立男女平等参画センター・リーブラで京都精華大学のレベッカ・ジェニスンによるローリー・トビー・エディソン写真展「からだとの対話」のスライドレクチャーがあった。
女「性」を考えるとき、例えば、メトロポリタン美術館に展示されるアーティストのうちたった5%が女性なのに、ヌードの85%は女性だという現状(Guerrila Girlsは「美術館に入るために女は裸にならないといけないのか」と強いメッセージを投げている)や、ビビアン・メイヤーの「現代のアメリカ文化ではたくさんの女性の飢餓状態(無理なダイエットによる)が、纏足や口唇伸(アフリカの一部で女性の唇を人工的に伸張させる風習)や、その他の女性の身体毀損に匹敵する」という言葉をあげ、さらに私たちが「理想」とする女性モデルがどのようにして作られていくかというプロセス(顔や髪の毛を整えたくさんの光りを当てて撮影し、写真のシミや皺やホクロを人工的に削除する作業、私たちは普通の人間じゃない偶像を「理想」として崇めているのかも)を紹介し、いかに女たちが「性」と一緒に不自然な「美」を背負わされているかを話してくれた。
そしてその「美」を今度は「健康主義(ヘルシズム)」を持って正当化し、ダイエットという国民的強迫観念がいかに市民を追いつめているかという現状を明らかにした。「からだ・私たち自身」(松香堂)の中で著者は、
「女性は他人と比較して、自分の体に不満を持つ。自分を醜く想い、息苦しくなる。美しい、といわれても信じられなかったり、または美しさが失われることを心配する。そして貴重な時間とお金を、時には健康に有害なこと―たとえば科学薬品を含む化粧品や膣用消臭剤、発現性のある染髪料、必要な栄養分を含まない低カロリー食品、体を極端にしめつける服や靴、顔の皺とりとその他の疑わしい整形手術―などにつぎ込んでまで外見を変えようと試みる。」
と警告している。さて、では太った女性というのはいったいなんだろう。社会が作り出した幻想だろうか、それとも「差別」の対象としての他者だろうか、いずれにせよ反肥満社会で痩せていないことは先進国の資本主義経済において差別の対象となってしまっていることは事実だし、「美しさ」の基準から少しでもはみ出した(ということは、例外なく女「性」を着ている誰もが)「努力」をしたり「努力」をしなくてはと思っていることになる。
私もそうだ。鏡に体を映す度、写真を撮る度、誰かとベットに入る度、遠くに友人の姿を見つける度(その人がドレスアップしているならなおさら)、新しい服を買う度、私は社会の作った「狭い」・「イメージ」の「ガードル」を着る、つまりお腹を引っ込めたり、やせて見える角度を選んだり引っ込めきらないお腹に落胆したりとかそういうことをする。痩せていない誰かに「差別」の発言や視線を送らなくとも、痩せていない自分のことを「差別」することで間接的という直接で痩せていない誰かを「差別」しているのかもしれない。ローリーの写真に写る大きい女たちは誰もがとても、美しかった。
修正された美を着せられている誰かと、ローリーの写真に写るナチュラルな誰かと、私は一体どちらを信じてきただろうということを考えると、私はいても立ってもいられなくなった、「太った母を見て育ち、絶対ああいう風にはなりたくないと思っていたのに、私も太ってしまった、絶望的な私を救ったのはマイクロダイエットだった」と言って泣きじゃくる中年女性のビデオを見ながら、私が考えていたのは彼女のことだった。今まで美しいと思っていた彼女のことを、彼女の体重のことを、最近の私はヘルシズムの影響を受けた脳で心配したりしていた。「メタボ」ブームは医学に堂々と過体重の人格を罵る資格を与えた。誰しもが見えないメジャーを持ち「健康」を武器にお腹周りを測り、あたかも痩せている人には「アナタのためを思って」という台詞を皮切りに差別発言の雨を降らせる権利があるかのように振舞う。
容赦ないその態度が与えるストレスと差別の肯定化に一体なんのメリットがあるというのだろう、あるいは、奇しくもそれは肥満恐怖症に怯えるがあまり体重をコントロールした人々のストレスのはけ口なのではないだろうか。
そう考えているうちに時間切れとなり、私は次の予定のためにレクチャーの途中で退出しなくてはならなかった。レベッカ・ジェニスンはこの後、Women En Large、Familiar Man、Women of Japanというローリー・トビー・エディソンの作品を写しながらレクチャーを続けたという、Women of Japanには私の大好きなあの高里鈴代さんがモデルになった写真もあるとのこと。彼女がJapanese Women(日本人女性)ではなくWomen of Japanという作品に登場するということ、日本の多様性や日本にいる女性の様々なポートレートを見つめることから始まる対話もまた楽しそうなので次の機会にとっておこうと思った。
写真展は6月29日(日)まで(9-21:00、ただし最終日は12:00まで)やっているので、しかも無料なので、港区に近い人は足を運んでみるといいと思います。
あと、ウェブサイトも必見です!
http://laurietobyedison.com/
http://laurietobyedison.com/index.asp
ローリー・トビー・エディソン略歴 (リーブラのパンフレットより)
1942年ニューヨーク生まれ。知的名ユダヤ人の家庭に育つ。母は服飾デザイナー、祖父母は宝石デザイナー。ビート時代に青春を送り、19歳から宝飾デザイナー、彫刻家として活躍する。30代でフェミニズムに出会い、サンフランシスコに移住。1984年から編集者兼作家であるデビー・ノトキンと共に「ファット・フェミニズム」の活動を始める。
1990年から写真を撮り始め、現代女性にとって強迫観念にもなっている「太ること」についての身体表現をまとめた「Women’ En Large」を1994年に発表。広く世界に知られることとなった。二冊目の写真集「Familiar Man」では、男性ヌード表現の新局面を開いた、として注目を集めた。最新作、「Women of Japan」は日本で生きる多様な女たちのポートレート。完成まで5年を要した。
1996年、東京都写真美術館で開催された『ジェンダー 記憶のふちから』のポスターに「Women’ En large」が取り上げられ、以来、日本においても多くの展覧会・講演会が実現している。作品は大阪国立国際美術館、京都精華大学にも所蔵されている。
2008年06月12日
お笑い米軍基地4

舞台を見て腹筋を痛めたのは初めてだったー。
また、笑いすぎて筋肉痛になりたいなー。
オール新作公演基地を笑え!
お笑い米軍基地4~今年は県内ツアーやります!~
6月14日(土) 県立郷土劇場
6月21日(土) 沖縄市民小劇場あしびなー
7月 5日(土) 金武町立中央公民館
7月25日(金) 伊江村農村環境改善センター
4公演全て19:00開演(18:30開場)
チケット:全席自由前売り2000円
当日2500円
(前売り当日共に小・中・高校生半額)
※未就学児無料
チケット販売
チケットぴあ(ファミリーマート各店他)
Pコード 387-021
http://ent.pia.jp/pia/event.do?eventCd=0822297
出演
山城智ニ、よっちゃん、まーちゃん、ハンサム、すぱるたいんづ
いさお名ゴ支部、プロパン7、パーラナイサーラナイ、BOZMEN他
問合せ:fec@nirai.ne.jp
098(869)9505 (有)FECオフィス
企画・脚本・演出:小波津正光
主催:演芸集団FEC
http://www.geocities.jp/okinawafec/
2008年06月09日
ピースミュージックフェスタ

Peace Music Festa! from 辺野古'08
きゃー、
辺野古のあの浜でやってたあのミュージックフェスタが、
なんと今年は東京出張らしいっす、面白ーい。
カクマクシャカ、Duty Free Shop、カチンバ、
きゃー、私の大好きな音楽家達が東京で大暴れなのねー。
私、実はその時期東京にいるので行っちゃいまーす(笑)、
一緒にサルサ踊りながらビール飲みながら、
ヒップにホップする方、大募集。
1月に書いた
「ピースミュージックフェスタから見た米軍基地」
という日記についてはこちら↓
http://shinakosan.ti-da.net/e1895428.html
音楽の力で沖縄の基地問題や平和について何か活動出来ないか?
Peace Musicはそんな有志の人々の集まりです。
2006 年2月19日の"Peace Music Festa! in」」」 辺野古"の開催をきっかけに発足!!那覇市のReggae好き数名が言い出したこのイベントは、沖縄の名護市辺野古にある米軍基地キャンプシュワに隣接するビーチでの野外イベントとして開催され、音楽や職業のジャンルを超え多くの皆さんに支えられ、成功を収めました。
その後、大小さまざまなイベントなどを経て、2007年には、2日間にわたり、同じ場所で"Peace Music Festa! 辺野古'07"を開催。第一回の"Peace Music Festa! in 辺野古"を上回る規模&サポーターで大成功に!
2008年は首都圏の人たちにもオキナワの現状を知ってもらおうと東京・上野での開催を準備中!!
【公演日】 2008年6月22(日)
【出 演】 SOUL FLOWER UNION/渋さ知らズオーケストラ/
寿[kotobuki]/Shaolong To The Sky/
ドーナル・ラニーwith梅津和時,近藤ヒロミ/
DUTY FREE SHOPP./カクマクシャカ/KZ/KACHIMBA 4/照屋政男
【時 間】 Open/13:00 Start/14:00
【会 場】 上野公園 野外ステージ
【料 金】 全自由\4,000(税込)
【一般発売日】 発売中
【一般発売】 チケットぴあ 0570-02-9999【Pコード 289-114】
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2008年06月09日
与党、過半数割れ!
何故だろう、
いつもは200人くらいしか来ない私のブログに、
昨日は4998人の人が訪問していた。
私なんかした?
まーいいや、
選挙の話をします。
私がVOTEした人も当選してたー☆
でも投票率57.82%は低すぎだろ!
この狭く狭すぎる非常に生き難い沖縄、
身内の間でもタブーな政治の話や基地の話、
誰にも言わず声にも出さずして思いをぶちまけられる、
そんな唯一のチャンスに何やってるんだー!
選挙行かんかった人たーやが?出てこーい!
ま、これが沖縄の現状、なんてこったい!!
面白かったのは、
私の住む那覇市区の結果、
11席を16人で争う、
ゆるい感じの選挙だったのだけど、
こういう結果でした。
11人中自民党が3人というのも面白いけど、
なにより自民党は第8番目になってやっと出てくるというのがいい。
トウキョウだとこういうのは絶対ないでしょう?
公明党はシラホが「いつも地を這うような努力で政治をしていた結果」
みたいに発言してたけどそれはどうだろう、組織票、じゃないのか。
倫太郎ママの狩俣のぶこが入ってないのはショック。
「基地と女性の人権」や「護憲」をしっかり議論できるのは彼女なのに。
ちなみに社大党とは沖縄オリジナルの沖縄社会大衆党、糸数慶子とかもいる。
かりゆしクラブもまた沖縄の地域政党で琉球共和国を目指して活動しているそう。
ああ、沖縄の選挙はこんなにも面白いのに、
なんで4割の大人はVOTEに行かないんだ。
社会的弱者が犇く沖縄、
我々こそ選挙「待ってましたー」のはずなのに。
雇用も賃金も医療費も基地も年金もガソリンも環境も経済も
全部全て政治から来てるのに。
しかもVOTEなんてタダでできるのに、3分で出来るのに。
なんでやらないのかの意味が分からない。
いつもは200人くらいしか来ない私のブログに、
昨日は4998人の人が訪問していた。
私なんかした?
まーいいや、
選挙の話をします。
<沖縄県議選>与党、過半数割れ…高齢者医療で反発か
(毎日新聞 - 06月09日 01:21)
後期高齢者医療制度の是非などが争点となり、注目された沖縄県議選(定数48)は8日投開票された。焦点の与野党勢力は、与党側の自民、公明、保守系無所属の当選が計22人にとどまったのに対し、社民、共産など野党側は中立1人を含め26人が当選し、与野党逆転となった。投票率は57.82%で、前回04年県議選の58.72%を0.9ポイント下回り、過去最低となった。
米軍普天間飛行場の移設問題で、仲井真(なかいま)弘多(ひろかず)知事は条件付きでキャンプ・シュワブ沿岸部(名護市)への移設を容認している。これに対し、野党側は県内移設に反対しており、選挙結果は移設の進ちょくにも影響しそうだ。
今回の県議選は、国政の問題である後期高齢者医療制度の是非や、仲井真県政への評価、米軍普天間飛行場移設問題が争点になった。与野党が党幹部を相次いで沖縄入りさせ激しい選挙戦が展開されたが、野党側は後期高齢者医療制度への反発を追い風に議席を伸ばした。
政党別の当選者数は、与党側が自民16▽公明3▽無所属3人。野党側は共産5▽社民5▽民主4▽沖縄社会大衆2▽そうぞう1▽諸派3▽無所属6人。
選挙前は、与党側が27議席で、過半数を占めていた。【三森輝久】
私がVOTEした人も当選してたー☆
でも投票率57.82%は低すぎだろ!
この狭く狭すぎる非常に生き難い沖縄、
身内の間でもタブーな政治の話や基地の話、
誰にも言わず声にも出さずして思いをぶちまけられる、
そんな唯一のチャンスに何やってるんだー!
選挙行かんかった人たーやが?出てこーい!
ま、これが沖縄の現状、なんてこったい!!
面白かったのは、
私の住む那覇市区の結果、
11席を16人で争う、
ゆるい感じの選挙だったのだけど、
こういう結果でした。
候補者名 得票数
◎ 上里 直司 民主 18,331
◎ 上原 章 公明 12,449
◎ 糸洲 朝則 公明 10,545
◎ 當間 盛夫 そうぞう 9,212
◎ 崎山 嗣幸 社民 8,954
◎ 前田 政明 共産 8,713
◎ 渡久地 修 共産 8,583
◎ 翁長 政俊 自民 8,061
◎ 浦崎 唯昭 自民 7,957
◎ 具志 孝助 自民 7,893
◎ 比嘉 京子 社大 7,811
狩俣 信子 社民 7,572
仲松 寛 自民 4,863
山川 典二 自民 4,677
仲村千恵子 無所属 1,473
屋良 朝助 かりゆしクラブ 620
11人中自民党が3人というのも面白いけど、
なにより自民党は第8番目になってやっと出てくるというのがいい。
トウキョウだとこういうのは絶対ないでしょう?
公明党はシラホが「いつも地を這うような努力で政治をしていた結果」
みたいに発言してたけどそれはどうだろう、組織票、じゃないのか。
倫太郎ママの狩俣のぶこが入ってないのはショック。
「基地と女性の人権」や「護憲」をしっかり議論できるのは彼女なのに。
ちなみに社大党とは沖縄オリジナルの沖縄社会大衆党、糸数慶子とかもいる。
かりゆしクラブもまた沖縄の地域政党で琉球共和国を目指して活動しているそう。
ああ、沖縄の選挙はこんなにも面白いのに、
なんで4割の大人はVOTEに行かないんだ。
社会的弱者が犇く沖縄、
我々こそ選挙「待ってましたー」のはずなのに。
雇用も賃金も医療費も基地も年金もガソリンも環境も経済も
全部全て政治から来てるのに。
しかもVOTEなんてタダでできるのに、3分で出来るのに。
なんでやらないのかの意味が分からない。
2008年06月06日
書く前に見る!

名前を書く前にヤツの腹の中を見る、話。
6月8日は沖縄県議会議員選挙の日!
選挙だ選挙だ、わーい!わーい!
今回から未成年の枠を追い出された妹も一緒に投票行けるから楽しみ!
でも選挙カーは煩さを増すばかり、俺達のイライラも頂点だ!
なんで「ウグイス嬢」ってああも耳障りなんだ?
変な替え歌とか本当に辞めろ!
リズミカルなテンポで名前を連呼するも絶対辞めろ!
昔、喜納昌吉が選挙に出ていた時、
「アナタも喜納、私も喜名、キナ、キナ、キナーーー!」
と叫んでたけど、あれはほんのちょっとだけ面白かった。
私、全然キナじゃないけど。
っていうか沖縄在住の皆、もう決めた?
決めた人も、決めてない人も、
最終判断を下す前の耳寄りな情報を入手したので、
以下のリンクにGOしちゃいなよ!
念のため候補者一覧を貼りましょう。
「JANJAN」のザ・選挙の一覧表が分かりやすい。
http://www.senkyo.janjan.jp/election/2008/47/00007769.html
それから何かと話題の「県明るい選挙推進青年会VOTE」が、
21人の立候補者のインタビューをYoutubeで流してるのでそれも。
http://vote.ti-da.net/
さて、ここからが本番、
以下の二つのアンケート調査を見て欲しい。
はじめに、
「沖縄環境マニフェスト市民の会」が実施した候補者へのアンケート。
質のいい質問項目で、多くの立候補者が回答している、
投票の参考になること間違いなし、要チェック。
http://ameblo.jp/manifestgo/
次に、
「泡瀬干潟を守る連絡会」の行ったアンケート調査、
泡瀬に焦点を当てた質問事項が並んでいて興味深い。
政党によって埋め立てをどう捉えているかが浮き彫りになっている。
http://www.awase.net/maekawa/n08kengian15.pdf
一票を投じようとした人が回答してない場合は、
「票を投じる参考にしたいので回答してくれませんか」
と選挙事務所に電話するのもいい。
それにしても自民党の候補者は、
「環境に優しく」したら上の人に怒られるのか?
こうもはっきり「埋め立て賛成」を言われたら、
「環境に優しく」生きたい人々は自民党だけにはVOTEできない。
個々人がマニフェストを持っているようで、
政党に喋らされている様な、そんないつも通りの選挙になりそうだ。
さて、誰にしよう。
写真は沖縄県の投票率を上げるべく活動する「キジムン」。
腹にかかれた「せんきょ」の文字が痛い、「占拠」かと思った。
その妖怪の小さい版が「ミニムン」として活躍しているらしくてブログもある。
http://minimun.ti-da.net/
年齢はなんと20歳らしい、妹と同じ年か。
りっか投票!






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