2008年08月11日
ウトゥルシー太田誠一

ウトゥルシー(恐ろしい)農水相発言。
「消費者がやかましい」
食の安全「消費者やかましいから徹底」=靖国参拝の方向-太田農水
http://www.jiji.com/jc/zc?key=%c2%c0%c5%c4&k=200808/2008081000088
太田誠一農水相は10日のNHK番組で、中国製冷凍ギョーザ中毒事件などを踏まえた食の安全への取り組みについて、「日本国内では心配しなくていいと思っているが、消費者がやかましいから、さらに徹底していく」と述べた。食の安全は既に確保されているが、消費者の過剰要求を背景に政策を進めると受け取れる発言だ。また、同相は番組出演後、15日の靖国神社参拝に関し「多分、行くことになる」と記者団に語った。
この男本当にウトゥルサン(恐ろしい)。
米潜水艦の放射能漏れを「安全上問題ないけど何か?」と言った
在沖米領事のちょび髭メアみたい、最低。
国の農水大臣が「食の安全」を「国民がうるさいからやる」っておい。
じゃ、国民がうるさくなかったらやらないわけ?
っていうかこいつがまだ政界にいるってことが信じられん。
この男は、そう、あれは忘れもしない少子化問題の討論会にて、
早大のイベントサークルが女子大生を集団暴行した事件について
「集団レイプする人はまだ元気があるからいい。まだ正常に近いんじゃないか」
と言った奴だよ、マジでウトゥルサン。
太田誠一公式WEBサイト
http://www.otaseiichi.jp/oshp/anolects_top.html
あ、話し違うけど浦添商業勝ったねー、よっしゃー、12対9ってすごいー。
2008年08月10日
家族が増えました

鬱を克服された喜屋武さん
瑞慶覧さんと名付けられた一匹の(ボス)シクリッドが、城間さん、喜屋武さんと呼んでいる弱小シクリッドを虐めまくってたわけさ。最近なんかその二匹が水槽の隅のほうで倒立したり天を仰いだりしてからになんか空ろで鬱っぽくなっててでーじ心配だったから、水槽も広いことだしってことで新たに7匹のベイビーシクリットを投入してみたわけ。
瑞慶覧さんはちょっかいを出さないといけない人が増えて忙しくなって、城間さんも、喜屋武さんも自分に降りかかるアタックが一瞬で減少したから朝とは比べ物にならないくらいニコニコ泳ぐようになってるわけさー。ベイビー達は無邪気に鬼ごっこみたいに瑞慶覧さんに追われてからなんかバランスいいかもって思って嬉しー。
前は(沖縄系ペルー人っていう設定で)アントニオ具志堅、マリオ玉城というプレコも買ってたんだけどご飯なかなか食べてくれなくて死んでしまったわけ(涙)。このベイビーたちはたくさん生きるといいなー。また難儀だけど名前付けてから覚えよー、お勧めの名前とか付けて欲しい名前とかあったら教えてねー。ちなみに全員男だからさー。
してからさ、前からずっと欲しかったガラスの丸い器と小さいアカヒレ10匹も買ってもらったわけ。この中に水生植物入れたらハイドロテラリウムさーねー。いつも勉強するデスクに置いたらしに可愛いってば。ペットショップの植物は高かったから買わんかったわけ、明日くらいにメイクマンとか行って上等植物買ってこよーっと。
ここから先はなんか色々怖い放射能の話。

被爆現場で保安検査官に説明する技術者
・長崎63回目原爆の日
ヒロシマの次は長崎の原爆の日。中学の修学旅行で資料館に行ってあのスタチューの前で写真取った。戦跡や平和資料館には慣れているうちなーんちゅの私だけど、長崎の原爆資料館はとっても怖くて泣きそうになりながら展示物を見た覚えがある。そういえば日本人なのに核保有論とか唱える政治家がいるけど、ああいう人たちってヒロシマ長崎とか行ったことあるのかな。長崎出身とかだったら怖いけど。原爆は過去の惨事じゃなくて、今も、63年経っても現在進行形で被爆者は苦しいんだということを核保有論者達は知るべきだと思う。
・米原子力潜水艦の放射能漏れ
米原子力潜水艦ヒューストンの放射能を帯びた冷却水が佐世保基地や横須賀基地や沖縄のホワイトビーチで漏れていた。ごく微量で問題ないというけどじゃあ何故隠していたんだろう。そして何故在沖米領事のメアは「事故ではなく人体や環境にも影響はないが、透明性を確保するため日本政府に連絡した」と堂々としているんだろう。分かっていて振りまいていたらテロだけど、漏れていたのだから事故でしょう、そして「米海軍の安全基準がきちんと機能していることを示すものだ」といいながら放射能漏れの時期は明らかにしないって言うのはやっぱ気持ち悪いよ。
・原発燃料工場の被爆事故
原発の燃料製造会社「グローバル・ニュークリア・フュエル・ジャパン」(神奈川県横須賀市)工場内で、ウランを含む溶液が飛散し、男性作業員(57)と放射線管理課員(52)が被爆した、タンク下部のバルブの閉め忘れっていうミスで。周辺への放射性物質の漏洩はないというけど、この会社は7月にも同じ事故を起こしているわけ。CO2を出さないからエコとか言って原発増やしてるけど、本当は全然環境に優しくないし、その上地震大国日本だからチェルノブイリみたいな惨事になる可能性は消すことはできないでしょう。加えて人為的なミスが連発というレベルっておかしくない?原発は安全って言った人出て来い。
ここから先は泡瀬干潟の話。

泡瀬干潟の座り込みテントの様子
論文の締切期限が迫っていてなかなか泡瀬干潟の座り込みテントに行けないでいたけど、昨日の夜は沖縄市で番組制作の打ち合わせがあったので小一時間程顔を出してきた。座り込みの場所は埋め立ての為に仮に造った道路で、本当は市は使用期限を過ぎたら原状回復しないといけないのに、もう8年もそのまま使ってるんだって。そこを突っ込まれると困るから座り込みメンバーに対してテントの撤去勧告を迫れないらしい(笑)。しかも守る会は使用許可申請を出しているんだけど、当の市はそこに工事の看板とかトイレとか置いてあるけど土地の使用許可や原状回復を約束する契約を交わしていないらしく、今更出遅れ申請もできないのですごく困ってるとか。お役所仕事ってこういう時に自業自得って感じだよね。いろんな書類も誤字脱字から始まって事実関係とあわないことまで、たくさんミスがあってそれをいちいち賢い座り込みメンバーが指摘するので、沖縄市役所は今もう本当にあわてぃーはーてぃー大変なっているらしいです。
でもそれでも毎日(土日もお盆も関係なしでやるそうですよ)ダンプカーが入ってきてはサンゴや貝やその他のたくさんの生物の上に土をかけて生き埋めにしているわけ。座り込みするくらい泡瀬の干潟や海が好きなメンバーにとっては目の前でそういう光景をみるのって本当に辛いだろうな。そうそう、道路から干潟に入る狭いゲートの前を人が行き来するとその間ダンプカーは入れないので、歩行者が多いと土砂を山盛りに積んだダンプカーが予定していたより少ししか入れなくなるらしいー。朝ウォーキングしてる人は是非ゲートの辺りを往復してみてはいかが?写真が趣味の人は干潟をバックに勇ましく土を運ぶダンプカーの写真を撮ってみてはいかが?犬のお散歩の人は海見ながらジョギングするのもいいんじゃない?子どもと散歩に出かける人は特にゆっくりペースで歩けるし、「ああそっちに行っちゃだめよ」という具合にゲート付近でウロウロできてキュートだしお出かけしてみてはいかがですか?
新聞が書くみたいに「阻止行動」って言ってしまうとなんか怖いんだけど、泡瀬のゲートにはでっかいカラフルなカニさんのオブジェがあったり小橋川さんの美しい写真が飾られていたり本当にアーティスティックで気持ちいいよ。エコ系のイベントという感じ。勿論海辺だから風もいいし、潮の香りも素敵だし、道向かいにはサンエーもあるから弁当かってゲート付近で海を見ながら食べるというのもいいかもしれないでーす。後、夜も最高だよ。ウクレレとか持って行って練習するというのもいいと思った。
そうそう署名。どんどん集まってきているみたい!
まだやっていない人で興味のある方は是非どうぞー!!
泡瀬干潟を守るための署名
ウェブ署名 http://www.shomei.tv/project-97.html
紙署名 http://www.awase.net/maekawa/shomei.pdf
泡瀬干潟を守る連絡会HP http://awase.net/maekawa/sinindex.htm
2008年08月07日
泡瀬Web署名
署名プロジェクトの詳細
泡瀬干潟と浅海は琉球諸島の世界自然遺産の中核になりうる貴重な自然です。貝類などの種多様性では(320種以上)と日本一の干潟です。浅海域には、サンゴ群落があり8月から始まる工事で生埋めになろうとしています。
ぜひみなさんで埋め立ての危機にあるサンゴや生き物たちを救ってください。
◎泡瀬干潟はどんなところ?
沖縄本島東海岸に奇跡のように残された美しく楽しい干潟です。訪ねるたびに生きものたちのドラマに出会える生きた博物館です。カニの大行進、群れ飛ぶ渡り鳥、泳ぐ小ダコ、貝の見事な砂茶碗、そよぐ海草藻場、サンゴ群落、魚、貝、ナマコ、ヒトデなど生きものたちの楽園です。ずさんな環境アセス後、新種や貴重種の発見が連続し、絶滅危惧種が百数十種も記録されています。美味しい貝や海藻もいっぱい採れます。詳細は、泡瀬干潟を守る連絡会ホームページ (//www.awase.net)をご覧下さい。
◎埋め立て計画はどんなもの?
国(内閣府沖縄総合事務局)と沖縄県の約650億円の埋め立て事業。典型的なムダな公共事業。国が土砂捨て場として利用し貴重なサンゴ群落や生きものたちを埋め殺すだけ。地元、沖縄市が埋め立て地にホテルやマリーナや人工ビーチを計画。しかし、希望するホテルは無く実現性はゼロ。県のお目付役の外部監査人もこの埋め立て事業計画の見直しを報告しましたが、県は無視して工事続行。地元沖縄市民への各種アンケートでも埋め立て反対が圧倒的多数です。
2008年08月07日
立秋の七夕
太陽暦では立秋、「暦の上では秋」 とはひどい、まだでーじ暑いのに。
最近旧暦が気になる、沖縄手帳を見たら今日は七月七日、沖縄に合ってる感じ。
沖縄の七夕は墓掃除の日、「ヘーベートメンソーリヨー」と、盆前の挨拶する日。
昨日で広島原爆投下から63年、去年は被爆者5302人が亡した、被爆者の高齢化は進む。
福田は言った、「国際社会において責任ある役割を」と、広島でのアメリカ追従宣言。
原爆の日の翌日も、癌や白血病に苦しんでいる人がいる、毎日と戦争が繋がってる。
原爆手帳が行き届いたら良いのに、早く病が治ると良いのに、ノーモア・ヒロシマ。
今夜は立秋の七夕、昨日ちっちに頂いた大好きな糸満ワイン、飲んじゃおう。
天の川で二人が出会う、私の願いは一つだけ、ノーモア・センソウ。
最近旧暦が気になる、沖縄手帳を見たら今日は七月七日、沖縄に合ってる感じ。
沖縄の七夕は墓掃除の日、「ヘーベートメンソーリヨー」と、盆前の挨拶する日。
昨日で広島原爆投下から63年、去年は被爆者5302人が亡した、被爆者の高齢化は進む。
福田は言った、「国際社会において責任ある役割を」と、広島でのアメリカ追従宣言。
原爆の日の翌日も、癌や白血病に苦しんでいる人がいる、毎日と戦争が繋がってる。
原爆手帳が行き届いたら良いのに、早く病が治ると良いのに、ノーモア・ヒロシマ。
今夜は立秋の七夕、昨日ちっちに頂いた大好きな糸満ワイン、飲んじゃおう。
天の川で二人が出会う、私の願いは一つだけ、ノーモア・センソウ。
2008年08月06日
『戦争とYFU』
昔々、1998年くらいの話、
あれは確か日本がFIFAワールドカップ初出場を遂げた年、
私は、ある一人の少女の悲劇が元でこの世に生まれた奨学金をもらい、
YFU(Youth For Understanding)という国際交流団体を通じてアメリカに行きました。
YFU-JAPANは今年で50周年だそうです、私は記念誌に寄稿しました。
『戦争とYFU』
YFU41期生 shinakosan
派遣先国アメリカ(1998-1999)
1995年、沖縄で衝撃的な暴行事件が起こりました。沖縄に駐留するアメリカ海兵隊3名が12歳の小学生を拉致・強姦した事件です。その事件の後、大田元沖縄県知事と橋本元総理大臣そしてクリントン元大統領が協議し、YFUを通して沖縄の高校生を国費で米国留学させようというプロジェクトが発足しました。私はその国費留学の第一期生です。
沖縄に生まれ育つ私たちにとって、アメリカとはアメリカ軍のことです。63年前の沖縄戦から続く米軍の沖縄占拠の光景は、私にとってはごくごく当たり前のものでした。フェンスに挟まれた国道をドライブし、ビーチで米兵にナンパされ、戦闘機が通るたびテレビの画像が乱れ、軍人が学校に来て英語を教えるという風景の中、私は育ってきました。
しかし、95年の事件をきっかけに何かが変だぞと感じるようになりました。私たちがアメリカナイズだと思っていることはもしかしたら軍事化なのかもしれないと思いました。そんな折国費留学生の募集があり、YFUに出会いました。YFUの創始者アンドレセン博士の、「第二次世界大戦終了後、敵国だったドイツから高校生を米国に招き若者の異文化交流から国際平和を模索する留学制度をスタートさせた」というエピソードを読み、「日米と沖縄が戦後と向き合うには、この方法が適しているのではないか。そしてこれは最も私に相応しいチャンスなのではないか。」と感じました。一か八かの受験の末、私は運良く一年間の米国留学の切符を手に入れたのです、1998年のことでした。
高校生の私は、沖縄と同じくらい蒸し暑く、大きなゴキブリが出没するルイジアナという州に派遣されました。パパママと呼ぶと怒りだす若い夫婦と、私が帰国するまでには桃太郎を暗唱できるようになった3歳のホストブラザー、そして大きなシェパード犬の家族となり一年を暮らしました。フランス開拓地ニューオリンズの街並みや、魂を揺さぶるジャズ、ほっぺの落ちるケイジャン料理、そしてあの、けだるく魅力的な長母音、そう、大好きなルイジアナのアクセント!勿論、ディープサウス特有の内向的で排他的な人種差別の名残を感じて戸惑う場面も多々ありましたが、私はルイジアナの虜になりました。
アメリカの生活で一番衝撃的だったのは、殆ど誰もが沖縄について、沖縄の2割を占める米軍基地について知らないことでした。けれどアメリカ史の先生は、「私たちはラッキーなことに沖縄の大使と共に学んでいる」と冗談を言い、教科書に少しだけ乗っていた「沖縄戦」の記述を発展させ、私にプレゼンテーションの機会を与えてくれました。私はできるだけ丁寧に、ホストしてもらっているアメリカという国を罵倒するのではなく、アメリカ人が知らされていないアメリカについて、沖縄の現状について紹介しオーディエンスが活発に意見できるような空間を作れるように注意を払いながら発表しました。「知らなかった」「私のお父さんは軍人だけどレイプなどしない」「何故沖縄はもっと声をあげないの」「私に何ができますか」「でもアメリカは日本を守っている」、様々な感想が私に寄せられました。私は、話を聞き反応してくれたクラスメイトが大勢いたことを本当に嬉しく思いました。
帰国して10年、私はその間8年のリターニー活動とさらに2年の留学を経験しました。沖縄の状況は変わりません、しかし、戦争や米軍基地から発生する問題について、以前よりも話しやすい環境ができているのではないかと感じています。人権や環境問題に繋がる大事な問題について語れる「自信」と、戦いではなく繋がり話し合うことで問題解決ができるかもしれないという「希望」をYFUは私に与えてくれた様に思います。
「百聞は一見にしかず」という言葉の通り、見た方が分かることが世の中には数多く存在します。これからも多くの若者が自らの目で世界を見つめステレオタイプを逸脱し、その一歩先を歩めるようなそんな国際交流が続いていくことを願っています。
あれは確か日本がFIFAワールドカップ初出場を遂げた年、
私は、ある一人の少女の悲劇が元でこの世に生まれた奨学金をもらい、
YFU(Youth For Understanding)という国際交流団体を通じてアメリカに行きました。
YFU-JAPANは今年で50周年だそうです、私は記念誌に寄稿しました。
『戦争とYFU』
YFU41期生 shinakosan
派遣先国アメリカ(1998-1999)
1995年、沖縄で衝撃的な暴行事件が起こりました。沖縄に駐留するアメリカ海兵隊3名が12歳の小学生を拉致・強姦した事件です。その事件の後、大田元沖縄県知事と橋本元総理大臣そしてクリントン元大統領が協議し、YFUを通して沖縄の高校生を国費で米国留学させようというプロジェクトが発足しました。私はその国費留学の第一期生です。
沖縄に生まれ育つ私たちにとって、アメリカとはアメリカ軍のことです。63年前の沖縄戦から続く米軍の沖縄占拠の光景は、私にとってはごくごく当たり前のものでした。フェンスに挟まれた国道をドライブし、ビーチで米兵にナンパされ、戦闘機が通るたびテレビの画像が乱れ、軍人が学校に来て英語を教えるという風景の中、私は育ってきました。
しかし、95年の事件をきっかけに何かが変だぞと感じるようになりました。私たちがアメリカナイズだと思っていることはもしかしたら軍事化なのかもしれないと思いました。そんな折国費留学生の募集があり、YFUに出会いました。YFUの創始者アンドレセン博士の、「第二次世界大戦終了後、敵国だったドイツから高校生を米国に招き若者の異文化交流から国際平和を模索する留学制度をスタートさせた」というエピソードを読み、「日米と沖縄が戦後と向き合うには、この方法が適しているのではないか。そしてこれは最も私に相応しいチャンスなのではないか。」と感じました。一か八かの受験の末、私は運良く一年間の米国留学の切符を手に入れたのです、1998年のことでした。
高校生の私は、沖縄と同じくらい蒸し暑く、大きなゴキブリが出没するルイジアナという州に派遣されました。パパママと呼ぶと怒りだす若い夫婦と、私が帰国するまでには桃太郎を暗唱できるようになった3歳のホストブラザー、そして大きなシェパード犬の家族となり一年を暮らしました。フランス開拓地ニューオリンズの街並みや、魂を揺さぶるジャズ、ほっぺの落ちるケイジャン料理、そしてあの、けだるく魅力的な長母音、そう、大好きなルイジアナのアクセント!勿論、ディープサウス特有の内向的で排他的な人種差別の名残を感じて戸惑う場面も多々ありましたが、私はルイジアナの虜になりました。
アメリカの生活で一番衝撃的だったのは、殆ど誰もが沖縄について、沖縄の2割を占める米軍基地について知らないことでした。けれどアメリカ史の先生は、「私たちはラッキーなことに沖縄の大使と共に学んでいる」と冗談を言い、教科書に少しだけ乗っていた「沖縄戦」の記述を発展させ、私にプレゼンテーションの機会を与えてくれました。私はできるだけ丁寧に、ホストしてもらっているアメリカという国を罵倒するのではなく、アメリカ人が知らされていないアメリカについて、沖縄の現状について紹介しオーディエンスが活発に意見できるような空間を作れるように注意を払いながら発表しました。「知らなかった」「私のお父さんは軍人だけどレイプなどしない」「何故沖縄はもっと声をあげないの」「私に何ができますか」「でもアメリカは日本を守っている」、様々な感想が私に寄せられました。私は、話を聞き反応してくれたクラスメイトが大勢いたことを本当に嬉しく思いました。
帰国して10年、私はその間8年のリターニー活動とさらに2年の留学を経験しました。沖縄の状況は変わりません、しかし、戦争や米軍基地から発生する問題について、以前よりも話しやすい環境ができているのではないかと感じています。人権や環境問題に繋がる大事な問題について語れる「自信」と、戦いではなく繋がり話し合うことで問題解決ができるかもしれないという「希望」をYFUは私に与えてくれた様に思います。
「百聞は一見にしかず」という言葉の通り、見た方が分かることが世の中には数多く存在します。これからも多くの若者が自らの目で世界を見つめステレオタイプを逸脱し、その一歩先を歩めるようなそんな国際交流が続いていくことを願っています。
2008年08月04日
埋め立てるな。

http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-134875-storytopic-1.html
泡瀬干潟を守る会、入り口封鎖 10人が「工事阻止」
2008年8月4日
【沖縄】泡瀬干潟を守る連絡会(小橋川共男共同代表ら)のメンバー約10人は4日、国、県が進めている中城湾港泡瀬沖合公有水面埋め立て事業の工事を阻止しようと、同事業仮設橋梁(きょうりょう)前に横断幕などを設置し入り口を封鎖した。午後1時現在、しゅんせつ土砂搬入トラックなど大型車両が事業地内に入れない状態が続いている。
2006年の工事開始以来、初のバリケード封鎖で守る会は飲料水などを準備し、少なくとも4日中の封鎖を視野に入れている。
守る会は8月から埋め立て地外側の工事が始まるのを機に4日午前5時から入り口の封鎖行動に入った。
工事阻止というと、妨害行為=悪者みたいだけど悪者はどっちだば?
国そして環境省は「地球温暖化対策」を言う同じ口を使って「埋め立てろ」と言ってる、
悪者はどっちだば?
埋め立てるな、絶滅危惧種を生き埋めにするな。
そもそもあの場所は、基地返還を求められたら困るアメリカ軍に、
「土地がないなら埋め立てろ」計画で提示された所だろ。
「土地がないから土地返せ」を言った方がいいだろ、安全も手に入って一石二鳥だろ。
沖縄市のフェンスの中に広がるに年に一回しか使わない馬鹿でかい運動場が沢山あるだろ、
あれを返してもらえば会社でも工場でもショッピングセンターでも作れるだろ、
何でサンゴを殺して埋め立てるば?
っていうかそ埋め立てたところで何に使うかまだ決まってもないだろ、
何で埋め立てるば?
しかも埋め立て費用は税金だろ。
私たちは本当に、
札束積んでまでサンゴを殺したいば?
これにはいつもはうかつに居眠りを誘うKEN子さんも怒り心頭でいらっしゃいます。
彼女のブログの転載許可をいただいたので紹介します。
是非読んでください、ブログに行って写真もご覧ください。
「サンゴを採ろう!」 http://kenkokenko.ti-da.net/e2238938.html
そしてリーフチェッカーさめさんのブログ。泡瀬干潟の生態調査、
サンゴの調査そして裁判など本当に沢山の努力を惜しまなかったさめさんが、
「結局、何の力にもなれなかった」と嘆く姿がとても悲しくて私は苦しくなりました。
「泡瀬干潟座り込み開始」http://shark.ti-da.net/e2286467.html
でも、まだ埋め立てられたわけじゃない。
私ができることを、最後まで。








日本の地域ブログ大集合!津々浦々の美味い・楽しいがここに!