2008年07月23日

2008国際反戦デー・アピール文

「63段目にいるとする」

ここに一つの梯子があるとする。
沖縄戦を生き延びた人たちが梯子をかけ、
毎年一段ずつ増やしては、丁寧に一段ずつ上ってきたとする。
私たちは63段目に、私たちは63段目にいるとする。

「ここは平和か」と、誰かが呟いた、
「ここは平和なのか」と繰り返す。
答える者は誰もいない。
ひたすら、次の年がきてまたもう一段梯子を上るのを待つ私たち。
「沖縄の歴史は」と、先ほどの誰かが切り出した。
「植民地の歴史は植民者が自在に操れるのか」、
その誰かの声は震えていた。
梯子にいる誰もが、
不安と不満に体を占領され両手で梯子を揺らし叫んだ、
「軍は住民を守らなかった」「軍は住民を守らなかった」

沈黙が梯子を支配した、我に返り梯子を摩る私たち。
「私は梯子をかけた」と、一人の老人が言った。
「焼け焦げた大地に、一つ残った左手で、私は梯子をかけた」と、言った。
「私も梯子をかけた」と、他の老人たちが口々に言った。
「生き別れた両親を捜しながら、私は梯子をかけた」
「マラリアの体を起こして、私は梯子をかけた」
「死んだ赤ん坊を背負いながら、私は梯子をかけた」
「私は梯子をかけた」「私もかけた」「私も梯子をかけた」「かけた」

「私は、私は梯子をかけてない」と、子どもが言った。
「私は、初めから梯子の上だ」そう言って梯子にぶら下がった。
足を絡めて逆さになり上手に梯子にぶら下がった。
あちらこちらの子どもたちが次々と、逆さになってぶら下がった。
そのうち誰かが大声で言った。
「ごらん、梯子は繋がっている、ずうっと下まで繋がっている」、と。

私たちはその梯子の63段目にいるとする。
63段の長い長い梯子の下には、梯子を上れなかった人たちがいるとする。
梯子をかけた私たち、梯子を上る私たち、梯子に生まれた私たち、
梯子の下の私たち、梯子を繋ぐ私たち、梯子を受け継ぐ私たち。
梯子がかけられたその大地と、かけられたその梯子と、
私たちは繋がっているとする。
私たちは自らの手でその梯子を繋いで行く。

誰かが言った「ここは平和なのか」
子どもが言った「私は、平和が欲しい」


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http://shinakosan.ti-da.net/t2267482
この記事へのコメント
アピール文というより本当の詩ですね。

何回も読み返して味わいたいです。
教えてくれてありがとう。
Posted by マヤー小 at 2008年07月23日 21:22
あるところに張ってあったリンクから、shinakosanにも読んでもらいたい記事が(あるいはご存知かも)。
http://www.izumito.com/sk/li_maruki9602.html

こんなことがあったことも知らなかったなんて。
疎開先の熊本で孤児となってしまった子供が、畑に食べ物を盗みに入り撲殺されるという事件があったそうです。
戦場で死んだ子、疎開船の遭難で死んだ子、疎開先で親ともはぐれ誰にも知られず亡くなった子供達が、そのはしごには何人繋がっているのでしょう。
戦争って、ほんとにいやだ。許せない。
Posted by マヤー小 at 2008年07月23日 23:50
>マヤー小さん
 リンク先に行きました。
 戦争って本当になんでしょうね。
 戦争で儲ける人って本当に人なんでしょうか。
 
Posted by shinakosan at 2008年07月24日 00:40