2012年02月14日
北方領土の日のイベントでのスピーチ
2月7日に船員会館で開かれた北方領土の日のイベントでのスピーチ。
私はチャモロの皆さんから聞いたグアムの現状を話しました。
その時の原稿をアップしまーす。
はいたい、ぐすーよーちゅうーがなびら。
グアムは日本に統治された歴史を持つ島です。1941年のハワイへの真珠湾攻撃から数時間後には日本軍は米領グアムにも航空攻撃を行いグアムを占領しました。以来、米軍が再上陸作戦をはじめるまで約32ヵ月間、日本はグアムを「大宮島」と改名し、領有しました。もちろん、グアムでは日本の他の植民地がそうであったように/あるように、日本語教育が行われ、日本の生活習慣が強いられ、戦時中には日本軍によるや虐殺が行われていました。この事実を、日本人、琉球人、グアム人、アメリカ人は歴史のクラスで学ぶ事はありません。(加えると第二次世界大戦に置ける日本軍による虐殺行為に対する賠償責任問題は日米政府がサンフランシスコでチャラにしたので、これまでチャモロに対して一銭も払われた事がありません。)
グアムはミクロネシアのマリアナ諸島にあります。1989年よりアメリカの領土になっているマリアナ諸島のうち、一番南のグアム島は米軍のテリトリー(これは未編入領土、すなわち植民地であることを意味します)、サイパンやテニアンなどグアム以外の島々は北マリアナ諸島というコモンウェルス(自治領)になっていて政治的な地位が異なります。グアム住民は選挙で選出された「グアム代表」を連邦下院議会に送っていますが、グアム代表には連邦議会における議決権が与えられていません。ですからグアムの人たちは自らの事を「二等市民」と呼んだりします、米国人でありながら米国人と同じ権利がないのです。
グアムには先住民であるチャモロ人が住んでいます。現在グアムの17万の人口のうち1割が米軍人とその関係者、4割がチャモロ人、残り5割は米国やアジア(一番多いのはフィリピン)から来た移住者です。グアムの水道と電力は住民が生活する上で十分とは言えません。加えてグアムには大量の水と電力を消費する米軍基地とその関連施設、そして観光施設があります。グアムの人々は地域によっては復帰前の沖縄のように米軍基地から水を買ったりしています。そうすると例えばオーストラリアなど他の地域から米軍が訓練に来たり、自衛隊など他国の軍隊が米軍との合同演習のためグアムに来る時等は、米軍基地の中で水や電力が消費されてしまうため、住民たちは断水や停電を強いられる事もあると言います。
グアムの産業と言えば7割が観光、3割が基地です。先程述べたように水の確保ができなず、島の3分の1の肥沃で使い勝手のいい土地を米軍基地に取られているため第一次作業が発達せず第二次産業もありません。それから観光客の8割、9割は日本人です。沖縄の私たちは肌で感じている事ですが、日本人は日本の飛行機で来て日本のホテルに泊まり日本のレンタカーを運転して日本人の作った観光施設で遊び(沖縄だと首里城やちゅら海水族館がそれです)日本製のお土産を日本人が経営するお土産屋さんで買って日本に帰えって行きます。グアムに落ちるお金は微々たるものだと言われています。それでも観光はグアムに取って大事な大事な産業になっています、観光で食えない場合残されているのは軍隊です。
グアムの先住民であるチャモロ人は多くの場合アメリカ合衆国によって無視されていると言えます。しかし唯一合衆国から表彰される時があるそうです、それは「アメリカが行った戦争で星条旗の下死んでいった若者の多さ」だそうです、ずいぶん馬鹿げていると思いますが、それを誇れといわんばかりのメッセージがグアムに送られ続けています。グアムの空港には、今度の戦争で戦っている「ヒーロー」たちの顔写真がずらりと並べられています。私は半年前に息子を出産しました、今私たちは自衛隊基地に隣接する小禄に住んでいるのですが、仮に息子が大きくなって仕事がなくて自衛隊に入って日本が起こした戦争に行ったとして、彼の那覇空港に飾られたら、と想像すると心底悲しくなります。どうやっても「息子は国のために戦っているんだ」と誇りに思うことはできないと思います。でも、この私の想像上の話を、グアムの人たちはずーっと前から経験し続けているのです。ほとんど全ての家族に軍人や軍で働いている人たちがいるのですから。
8000人の海兵隊員とその家族がグアムにやってくると聞いて、最初はグアムの人たちは喜んだと言います。産業がやってくる、仕事が増えるという経済効果が見込まれての事でした。しかしながら、チャモロネーションやウィーアーグアハンをはじめとする市民団体や地元研究者の調査により、沢山のことが明らかになりました。
まず、沖縄からの海兵隊の移転という名目で行われようとしていた事の実態です。軍の増強計画には、6席の原子力潜水艦がグアムで停泊するその港、爆弾貯蔵庫の建設、グアム諸島での軍事演習などなどがありました。それらはチャモロの聖地をそして貴重な水源を破壊して作られようとしています。また、ただでさえ満足のいくものではないグアムの水事情、電気事情はさらに悪化します。教育、医療、保険、道路、などもそうです、特に注目すべきは、先住民のチャモロ人たちは、米軍人と軍属、そして基地建設のためにやってくる、基地をターゲットにビジネスをしようと集まってくるニューカマーによって自らの島でマイノリティにされる可能性が出てきたという事です。
沖縄から海兵隊が行くという事で、チャモロ人たちは聖地を奪われ水源を奪われ、マイノリティになるのです。そして教育や医療福祉の環境はますます悪化し、経済効果と言っても、観光同様、大きな事業は全て外から来た人たちが持っていってしまうので(ここで言及すべきは沖縄からは下地幹郎たちがグアムに行き米軍基地建設で儲けるための視察を既に行っている事です)チャモロ人たちに残っているのはせいぜい日雇いやパートタイムのアルバイトくらいです、長期的に見てチャモロ人にとっていい事は一つもないのです。いいえ、長期的に見た場合、自分たちの島でマイノリティになるという事はますます自己決定権を行使できなくなるという事です。
先程述べたように3割は米軍基地関係の雇用状況ですから、誰でも、家族に最低一人は軍人や軍で働く人がいます。はじめのうちは、運動自体がとても難しかったと言います。私は2009年にグアムで開かれた軍事主義を許さない国際女性会議に参加しましたが、その頃はまだ沖縄からの海兵隊を歓迎するというムードがあったような気がします。しかし、今では、ウィーアーグアハンやチャモロネーションなど草の根の活動が功を奏し、グアム政府の脱植民地化委員会などもがんばっていて、多くの人が軍拡計画の全貌を把握し、反対を唱え始めていると言います。すでに米国本国からやってきたビジネスマンたちも、グアムでのビジネスをクローズして本国に帰り始めていると言います。
2011年6月にはグアムが毎年続けている国連の脱植民地化委員会での訴えに、沖縄からも八重山出身の松島泰勝さんがグアム代表団の一員として参加しました。現在米軍基地再編のパッケージにされている沖縄とグアムが一緒になって国際社会に向けて悲惨な植民地の現状を訴えたのです。私たちは連携して確実な一歩を踏み出したと思います。これからもこの活動を継続するとともに、沖縄からも脱植民地化の動きを活発化させていけたらなと思っています。引き続きグアムのチャモロの皆さんと連絡を取り合いながら、グアムにも辺野古にも基地を作らせない、普天間は返還させるというゴールを実現していきたいと思います。
私はチャモロの皆さんから聞いたグアムの現状を話しました。
その時の原稿をアップしまーす。
はいたい、ぐすーよーちゅうーがなびら。
グアムは日本に統治された歴史を持つ島です。1941年のハワイへの真珠湾攻撃から数時間後には日本軍は米領グアムにも航空攻撃を行いグアムを占領しました。以来、米軍が再上陸作戦をはじめるまで約32ヵ月間、日本はグアムを「大宮島」と改名し、領有しました。もちろん、グアムでは日本の他の植民地がそうであったように/あるように、日本語教育が行われ、日本の生活習慣が強いられ、戦時中には日本軍によるや虐殺が行われていました。この事実を、日本人、琉球人、グアム人、アメリカ人は歴史のクラスで学ぶ事はありません。(加えると第二次世界大戦に置ける日本軍による虐殺行為に対する賠償責任問題は日米政府がサンフランシスコでチャラにしたので、これまでチャモロに対して一銭も払われた事がありません。)
グアムはミクロネシアのマリアナ諸島にあります。1989年よりアメリカの領土になっているマリアナ諸島のうち、一番南のグアム島は米軍のテリトリー(これは未編入領土、すなわち植民地であることを意味します)、サイパンやテニアンなどグアム以外の島々は北マリアナ諸島というコモンウェルス(自治領)になっていて政治的な地位が異なります。グアム住民は選挙で選出された「グアム代表」を連邦下院議会に送っていますが、グアム代表には連邦議会における議決権が与えられていません。ですからグアムの人たちは自らの事を「二等市民」と呼んだりします、米国人でありながら米国人と同じ権利がないのです。
グアムには先住民であるチャモロ人が住んでいます。現在グアムの17万の人口のうち1割が米軍人とその関係者、4割がチャモロ人、残り5割は米国やアジア(一番多いのはフィリピン)から来た移住者です。グアムの水道と電力は住民が生活する上で十分とは言えません。加えてグアムには大量の水と電力を消費する米軍基地とその関連施設、そして観光施設があります。グアムの人々は地域によっては復帰前の沖縄のように米軍基地から水を買ったりしています。そうすると例えばオーストラリアなど他の地域から米軍が訓練に来たり、自衛隊など他国の軍隊が米軍との合同演習のためグアムに来る時等は、米軍基地の中で水や電力が消費されてしまうため、住民たちは断水や停電を強いられる事もあると言います。
グアムの産業と言えば7割が観光、3割が基地です。先程述べたように水の確保ができなず、島の3分の1の肥沃で使い勝手のいい土地を米軍基地に取られているため第一次作業が発達せず第二次産業もありません。それから観光客の8割、9割は日本人です。沖縄の私たちは肌で感じている事ですが、日本人は日本の飛行機で来て日本のホテルに泊まり日本のレンタカーを運転して日本人の作った観光施設で遊び(沖縄だと首里城やちゅら海水族館がそれです)日本製のお土産を日本人が経営するお土産屋さんで買って日本に帰えって行きます。グアムに落ちるお金は微々たるものだと言われています。それでも観光はグアムに取って大事な大事な産業になっています、観光で食えない場合残されているのは軍隊です。
グアムの先住民であるチャモロ人は多くの場合アメリカ合衆国によって無視されていると言えます。しかし唯一合衆国から表彰される時があるそうです、それは「アメリカが行った戦争で星条旗の下死んでいった若者の多さ」だそうです、ずいぶん馬鹿げていると思いますが、それを誇れといわんばかりのメッセージがグアムに送られ続けています。グアムの空港には、今度の戦争で戦っている「ヒーロー」たちの顔写真がずらりと並べられています。私は半年前に息子を出産しました、今私たちは自衛隊基地に隣接する小禄に住んでいるのですが、仮に息子が大きくなって仕事がなくて自衛隊に入って日本が起こした戦争に行ったとして、彼の那覇空港に飾られたら、と想像すると心底悲しくなります。どうやっても「息子は国のために戦っているんだ」と誇りに思うことはできないと思います。でも、この私の想像上の話を、グアムの人たちはずーっと前から経験し続けているのです。ほとんど全ての家族に軍人や軍で働いている人たちがいるのですから。
8000人の海兵隊員とその家族がグアムにやってくると聞いて、最初はグアムの人たちは喜んだと言います。産業がやってくる、仕事が増えるという経済効果が見込まれての事でした。しかしながら、チャモロネーションやウィーアーグアハンをはじめとする市民団体や地元研究者の調査により、沢山のことが明らかになりました。
まず、沖縄からの海兵隊の移転という名目で行われようとしていた事の実態です。軍の増強計画には、6席の原子力潜水艦がグアムで停泊するその港、爆弾貯蔵庫の建設、グアム諸島での軍事演習などなどがありました。それらはチャモロの聖地をそして貴重な水源を破壊して作られようとしています。また、ただでさえ満足のいくものではないグアムの水事情、電気事情はさらに悪化します。教育、医療、保険、道路、などもそうです、特に注目すべきは、先住民のチャモロ人たちは、米軍人と軍属、そして基地建設のためにやってくる、基地をターゲットにビジネスをしようと集まってくるニューカマーによって自らの島でマイノリティにされる可能性が出てきたという事です。
沖縄から海兵隊が行くという事で、チャモロ人たちは聖地を奪われ水源を奪われ、マイノリティになるのです。そして教育や医療福祉の環境はますます悪化し、経済効果と言っても、観光同様、大きな事業は全て外から来た人たちが持っていってしまうので(ここで言及すべきは沖縄からは下地幹郎たちがグアムに行き米軍基地建設で儲けるための視察を既に行っている事です)チャモロ人たちに残っているのはせいぜい日雇いやパートタイムのアルバイトくらいです、長期的に見てチャモロ人にとっていい事は一つもないのです。いいえ、長期的に見た場合、自分たちの島でマイノリティになるという事はますます自己決定権を行使できなくなるという事です。
先程述べたように3割は米軍基地関係の雇用状況ですから、誰でも、家族に最低一人は軍人や軍で働く人がいます。はじめのうちは、運動自体がとても難しかったと言います。私は2009年にグアムで開かれた軍事主義を許さない国際女性会議に参加しましたが、その頃はまだ沖縄からの海兵隊を歓迎するというムードがあったような気がします。しかし、今では、ウィーアーグアハンやチャモロネーションなど草の根の活動が功を奏し、グアム政府の脱植民地化委員会などもがんばっていて、多くの人が軍拡計画の全貌を把握し、反対を唱え始めていると言います。すでに米国本国からやってきたビジネスマンたちも、グアムでのビジネスをクローズして本国に帰り始めていると言います。
2011年6月にはグアムが毎年続けている国連の脱植民地化委員会での訴えに、沖縄からも八重山出身の松島泰勝さんがグアム代表団の一員として参加しました。現在米軍基地再編のパッケージにされている沖縄とグアムが一緒になって国際社会に向けて悲惨な植民地の現状を訴えたのです。私たちは連携して確実な一歩を踏み出したと思います。これからもこの活動を継続するとともに、沖縄からも脱植民地化の動きを活発化させていけたらなと思っています。引き続きグアムのチャモロの皆さんと連絡を取り合いながら、グアムにも辺野古にも基地を作らせない、普天間は返還させるというゴールを実現していきたいと思います。
Posted by shinakosan at 12:03│Comments(0)
│沖縄
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