2014年07月22日
Living Along The Fenceline
今日もまだ声が出ないので、授業はフィルムを見る事にした。他のクラスには見せたけどこのクラスではまだだったのでLiving Along The Fenceline(邦題は「基地の町に生きる」)をピックアップした。
提出してもらったコメント(学生は英語で書いているので私が適当に和訳しています)の中には「海外に米軍基地が1000もあるとは知らなかった、日本にだけ基地を置いていると思っていた」「今まで基地問題で糾弾されている米兵こそが被害者だと思ってたけど、フェンスの町に住む人たちには苦労があることが分かった」「米軍基地に反対しているのは沖縄だけだと思っていた」「沖縄で米兵にレイプされた少女がいるということを知って悲しく思った」というものがあって驚いた。彼/女らの多くは県外から来た学生で1995年の事件があった時点ではまだ生まれていない人たちだ。米軍基地を巡る「問題」について日本の教育の中でほとんど知らされていないことが分かる。沖縄の大学で学ぶことが日本人学生達にどのような意識や知識の変化をもたらすだろうか。私が貢献できることがあればいいのだけれど。対して沖縄の学生からは「米軍基地問題は国内問題で国際的な問題ではないと思っていた、世界的なのは悲しいけど自分たちだけじゃないのを知れて良かった」「海外の人たちと繋がってきちんと反対するためにもとりあえず英語は勉強しておこうと思った」というコメントも出てきて、読んでいてエンパワメントされた。でも全体を通して一番多かったのは「色々難しいけど、平和になりますように」というまとめだった。七夕願いの短冊じゃないんだから他力本願は良くないし、平和な世の中を作るために「私は何をするか」というところをコメントとして出して欲しかったと思う、それに大学生が「色々難しい」という分析で満足したらダメじゃないの?と突っ込みを入れようと思ったけど、あまりにも多くていちいち書き込めなかったので次のクラスで少し話してみたい、もし声が出たらの話だけど。一番心に残っているのは「私たちを守っているのは軍隊ではなく平和だ」というコメント、本当にその通りだと思う。集団的自衛権行使が容認された今、ある意味「平和」の中に存在した自衛隊がアメリカの「戦争」に飛び込んで行き、その影響や報復として「日本人」や「日本国」が攻撃されたり…、ということに怯えながら生きていかないといけない可能性がでてきた、もちろん私は集団的自衛権の行使に反対だけれども、それを容認させる社会を作ってしまった大人の一人として、選挙権を持たない彼らに謝らなくてはいけないのではないかとも感じた。
Posted by shinakosan at 05:49│Comments(0)