2014年02月09日

またジャスコか?

またジャスコか?

アメリカの軍事植民地だった場所が、ジャパンの経済植民地になるのは「ベター」であっても「ベスト」ではないと思う今日この頃。私は北中城村史(戦後編)の編纂委員に入ってる。フィールドワークをやった時に、大城盛光委員長が戦前に集落があったこの土地が、戦地になり、ライカム捕虜収容所になり、拝所ともども米軍に接収され、米軍の資材置き場になり、米軍専用のアワセゴルフ場になり、そして返還されたと思えば今度はジャスコになるということを教えてくれた。ご高齢の大城委員長がだだっ広いゴルフ場跡地を見て「私が最後に見るのはジャスコなのですね」と言ったその言葉が脳裏に焼き付いている。この土地は基地である間は使用料が入ってくるが返還されると土地代が入ってこず、すぐに運用できない人は収入源を失い誰かに売り渡してしまうことになるので地主で話し合いジャスコに50年の契約で土地を貸すことにしたと言う。そうすることで土地代が入ってくるというわけだ。
突然不当に土地を奪われ、土地代が振り込まれ(土地借用代や借用期間を決めるのは日本、勿論米軍の施設だけど土地代を払うのも日本)、土地がいつ帰ってくるかは米軍次第、返還されたら「はい、おしまい」となり土地代は払われない、けれども返還されて数年は土地をならしてみるまで何か(不発弾とか、枯れ葉剤入りドラム缶とか、銃弾とか戦車とか)が土の下に埋まってるかどうかは分からないし、いつから使えるかも分からない(調査の間の3年間だけは延長して土地代を払うことにはなったと北谷で聞いたことがある)。そんな状態の時にイオンが地主達にジャスコを作ることを持ちかけるというわけ。沖縄のジャスコは小禄も北谷も基地の跡地に出来上がっている、そしてその周りには同じく日本のチェーン店が乱立して日本のどこにでもある風景が出来上がる。「雇用対策」という美しい響きもふたを開けてみれば沖縄人に残されたのは低賃金パートタイムのお仕事ばかりというのもざらだ。
沖縄島の2割は米軍基地で、これから普天間以南の基地が返還されることが計画されている。いつか返される普天間基地の跡地利用というテーマで何度もシンポジウムや委員会が開かれて来たが、18年間「返す」言い続けても返されていない。いつになるか分からないが(去年の5年以内返還という仲井眞知事と安倍首相の約束は守られないということも明らかになった)その日が来た時にできるのがまたジャスコであり、日本の企業である可能性は非常に高い、というかほぼ確実だ。3割が貧困層の沖縄で、日本から来た商品が日本と同じ値段で売られその収益は日本に持っていかれる。軍事植民地と経済植民地のどちらかを選択させられるのではなくどちらからも自由になり、沖縄人が抑圧されずに平和や経済を作っていける世の中になることを切に願うのだが。

ここにジャスコがつくられることはもう決まったことなのかもしれません。だとすれば地主たちの子や孫の人たちは50年後をイメージすることを始めたらいいんじゃないかなと思いました。そして他の基地の軍用地を持っている人たちやその子孫も、いつか返還される大事な土地をどうしていくのかということについて現実的かつ沖縄人らしい選択肢を話し合っていけたらいいですね。
その時に大事なのは沖縄は日本なのかというポイントだとおもいます。沖縄で起こっていることを「日本の他の地域にも起こっていること」として見るのかどうかということでしょうか。日本にすり寄りおこぼれをもらうためにコラボレーターになってアスファルトの道を歩くことしか私たちには見えていませんが、本当はもっと素敵な獣道がもともとそこにはあったはずです、それを探したいです。



Posted by shinakosan at 17:24│Comments(0)
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