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Posted by TI-DA at

2014年08月19日

沖縄県知事選挙を前に


↑ネットで拾った写真。

11月の沖縄県知事選挙、勿論私は公約を破り日本政府の圧力に屈し「辺野古埋め立て容認」を言わされた仲井眞を落選させ、辺野古の工事を直ちに止める知事を当選させることに全力を注ぐつもりだ。しかしリベラルを名乗る日本の人々が仲井眞の写真をコラージュし「沖縄県知事選こいつを消す。」と書いた写真を嬉々としてシェアしている姿を苦々しい想いで見つめている。

野村浩也さんが指摘する「ポジショナリティをスルーする日本人」のためには例え話が必要だろうか。例えばこうだ。悩みを抱えた中学生を担任の教師が呼び出し事情を話す様促した。聞けば生活苦に喘ぐ母親が身を売り手当をもらっているというのだ、しかもその相手というのがこの学校の校長なのだと言う。・・・担任は怒り狂い生徒に向かってこう言った「私は身体を売る様な女は許さない、潰してやる」と。

筋が通らないのは一目瞭然だろう。確かに「売春で生計を立てるなんて」「そのことで子どもに頭を抱えさせるなんて」と道徳心の強い教師が母親批判するということは十分起こり得るだろう。しかし、弱みにつけ込み生徒の親を金で買っているのが己の上司である学校長だとなると話しはどうだろうか、この教師が教師という立場で糾弾すべきは校長だというのは誰の目にも明らかではないか。

日本人を教師に、沖縄人を中学生に例えたのは、マジョリティ/マイノリティという権力の構図を示したかったからだ。マジョリティの立場に立たされている日本人は、辺野古を売った仲井眞を批判している暇なんてないないはずだ、それにこれは私達沖縄人がやるべき仕事なのだ。貴方たち日本人は批判の矛先をどこに向けるべきか、よく考え方向を見誤らないで欲しい。

母親を前に中学生の子どもが無力に見える様に、学校長の前で一教師は無力であると思うかもしれない、しかし問題解決に努めたいのであれば、教師がとりうる行動は自ずと決まってくるはずだ。くれぐれも中学生の「教師なんて」「大人って」という鋭い非難の言葉を封じ込め「私の様に良い教師/大人もいるのだからそんなことは言ってはいけない」と結果的に問題そのものを闇に葬る様仕向けることだけはしないよう。問題に気付き一度は解決に向け動き出したならば、最後まで諦めずにやり遂げて欲しい、それがマジョリティ=日本人の責任なのだから。  

Posted by shinakosan at 09:13Comments(7)

2014年08月02日

オキハム



お中元はオキハムにしたよー、美味しそうなパストラミ!売り場のおばさんに「新聞の辺野古反対の意見広告見てから今年はオキハムにしようねって決めたんですよー」と言ったら「あい、本当に?嬉しいさー、社長に伝えますね!」と返ってきて、買い物してる間中、夫と息子が「オキハームー♫」と歌ってた。  

Posted by shinakosan at 22:08Comments(0)

2014年07月22日

ガザ空爆を見物...

イスラエル人の一部には、ポップコーン片手にガザ空爆を見物している不届き者もいる(画像)
http://www.huffingtonpost.jp/2014/07/14/israelis-eat-popcorn_n_5583299.html

慰霊の日の平和学習で、沖縄が破壊され沖縄人が殺される映像を毎年見てきたので、実は私は打ち上げ花火が怖い。それは被害者側で爆発音を聞くからなのだろう。爆発音を、爆撃する側目線で聞く場合には加害者意識は湧かないのだろう。そして相手に報復の爆弾を一発でも打ち込ませたら「こっちのもん」と、ニヤリとしながら爆撃を正当化しその音や光を楽しむことができる、ということだろうか。  

Posted by shinakosan at 05:49Comments(3)

2014年07月22日

Living Along The Fenceline



今日もまだ声が出ないので、授業はフィルムを見る事にした。他のクラスには見せたけどこのクラスではまだだったのでLiving Along The Fenceline(邦題は「基地の町に生きる」)をピックアップした。

提出してもらったコメント(学生は英語で書いているので私が適当に和訳しています)の中には「海外に米軍基地が1000もあるとは知らなかった、日本にだけ基地を置いていると思っていた」「今まで基地問題で糾弾されている米兵こそが被害者だと思ってたけど、フェンスの町に住む人たちには苦労があることが分かった」「米軍基地に反対しているのは沖縄だけだと思っていた」「沖縄で米兵にレイプされた少女がいるということを知って悲しく思った」というものがあって驚いた。彼/女らの多くは県外から来た学生で1995年の事件があった時点ではまだ生まれていない人たちだ。米軍基地を巡る「問題」について日本の教育の中でほとんど知らされていないことが分かる。沖縄の大学で学ぶことが日本人学生達にどのような意識や知識の変化をもたらすだろうか。私が貢献できることがあればいいのだけれど。対して沖縄の学生からは「米軍基地問題は国内問題で国際的な問題ではないと思っていた、世界的なのは悲しいけど自分たちだけじゃないのを知れて良かった」「海外の人たちと繋がってきちんと反対するためにもとりあえず英語は勉強しておこうと思った」というコメントも出てきて、読んでいてエンパワメントされた。でも全体を通して一番多かったのは「色々難しいけど、平和になりますように」というまとめだった。七夕願いの短冊じゃないんだから他力本願は良くないし、平和な世の中を作るために「私は何をするか」というところをコメントとして出して欲しかったと思う、それに大学生が「色々難しい」という分析で満足したらダメじゃないの?と突っ込みを入れようと思ったけど、あまりにも多くていちいち書き込めなかったので次のクラスで少し話してみたい、もし声が出たらの話だけど。一番心に残っているのは「私たちを守っているのは軍隊ではなく平和だ」というコメント、本当にその通りだと思う。集団的自衛権行使が容認された今、ある意味「平和」の中に存在した自衛隊がアメリカの「戦争」に飛び込んで行き、その影響や報復として「日本人」や「日本国」が攻撃されたり…、ということに怯えながら生きていかないといけない可能性がでてきた、もちろん私は集団的自衛権の行使に反対だけれども、それを容認させる社会を作ってしまった大人の一人として、選挙権を持たない彼らに謝らなくてはいけないのではないかとも感じた。  

Posted by shinakosan at 05:49Comments(0)

2014年07月22日

「第3回ODA政策協議会」

http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/oda/shimin/oda_ngo/taiwa/oda_seikyo_13_3.html

2014年2月27日に開催された『平成25年度(2013年度)NGO・外務省定期協議会「第3回ODA政策協議会」』で協議事項として「外務省・JICAにおける先住民族に対する政策のあり方について」ということで話しました。私の発言は議事録の25頁〜、外務省のHPに議事録が載ると言うことだったのでウチナーグチで挨拶するところからはじめてみました。

私のポイントとしては主に①日本は国連の勧告を受けアイヌを先住民族と認めたのに対し、琉球人は認めていない、先住民族の権利に関して国際基準と国内基準の間に大きなギャップがあるのでは?、②ODAが世界の先住民族の言語や文化を破壊することに繋がっている事例や逆にODAで先住民族支援をやっている例はあるか?、というところに絞りました。

外務省からは「先住民族の権利宣言の国内の適用ということでございますが、この先住民族の権利をどう守るのかというのは、日本の国内措置でありますし、そもそも先住民族としてどういう認定、指定をするのかというのも外務省の仕事ではないと思います。」という返答があり、「ちなみに、アイヌに関する政策というのは、内閣官房にアイヌ総合政策室という場所がございまして、そこを中心に、例えば教育であれば文科省と、それぞれの関係省庁が内閣官房の総合政策室を中心に協議をしながら、対応をとっているという風に思います。外務省としては、国際的な場でのいろいろ議論、日本に対して出された議論、そういったものを、内閣官房をはじめとする関係する、関係府省庁に情報を伝達するということはやってきておりますけれども、そこまでしかやっておりません」ということでした。また「外務省、JICA が行う ODA のプロジェクトは、先住民族の人たちに悪い影響が出ないように、事前にきちんと調査をし、チェックをし、という仕組みがございます」とも回答しいました。

ふむふむ。

  

Posted by shinakosan at 05:47Comments(0)