2007年08月28日

辺野古からお盆まで

 カヌチャ行ったり、墓参り行ったり、最近は「やんばる」に行く機会が多くて嬉しい花笠

 23日も、Okinawan by heartのマイミクLOSNASさんが東のSOUL MATEと呼ぶICUのK先生と彼女のゼミ生が泊まる「ペンションへのこ」にお呼ばれしたので、お言葉に甘えて文化人類学者とその卵の皆さんの熱いお宿にお邪魔した。一人で行くはずが3人のお供を連れてしかもウチナータイムで登場、というなんともテーゲーな私をいやな顔ひとつせず迎えてくださったフレキシブルな皆さんと暑い夜を過ごすことになるんだけど、その前にその会を抜け出してお供の一人で合意してないプロジェクト所属のマイミク、オリオンの神君のガイドで辺野古に行くことにした。

 辺野古キャンプシュワブとを結ぶぐるぐる巻きの格子鉄線とか、それに結わえられた「NO MORE BASE」のリボンとか、水陸両用戦車の通った後とか、エメラルドグリーンの海とか、「進入禁止」の看板とか見て、小さな小さなプレハブの本部に行き、(たくさんの住民と住民ではない人の想いが詰まったオーラある建物だった)海から戻ってきて休んでいらっしゃった、真っ黒に日焼けしたシンさんにコンニチワと挨拶した。映画「ホテルハイビスカス」に出てきた辺野古の町並みと青い海と隣接した米軍基地。それ以前からある歴史や文化と、それに米軍基地をを織り交ぜさせらた人々の生活。ロンドンとか那覇にいると分からない「それら」をまじまじと見ると、やっぱり私の生活と辺野古の生活は違っていて、辺野古の生活にこれ以上「それら」を加えて「綺麗な海」を引くのはとんでもないことだというのが分かった。そんでもって、「すぐそこだから高江も行こうよ。」というオリオンの神君の言葉を信じて、高江を目指した。

 大渋滞の名護を抜け東村までの道のりの長かったこと長かったこと。でも、なかなか足を運ばないエリアの、予想以上に開発された綺麗な道路と、ちっとも変わらない昔風の家々や息を呑むほど美しい海が見られて良かった。海が青から橙になって黒になるまで車を走らせ、山道を行き、高江の「ヘリパッド建設」反対の座り込みをしているところに着いた。その日はちょうど色々動きがあったらしくて、皆さんお疲れの様子だった。前からお会いしたかった琉大の阿部小鈴先生(頭にタオルを巻いたハルサールックだった、やっぱり彼女はクールだと思う)と少し立ち話ができたので嬉しかった。沖縄の水瓶といわれるダムのそばに新たな米軍施設ができようとしている、金武町もそう、沖縄は基地の重圧から開放されるどころかより近代的な米軍基地の建設ラッシュの状態だ。

 「そろそろ帰ろう」と、ヤンバルクイナが飛び出してこないか気にしながら辺野古に向かった。左手に海、空には星、U君がハンドルを握り、オリオンの神君がギターを弾き、エビ君(彼もマイミク)が歌うという帰り道、「ああ贅沢、ラッキー」と女王様気分で辺野古のうさぎ屋に到着しLOSNAS・ICU組と合流。「ちょっとそこまで」と言い2時間半帰ってこなかった私たちを咎めないなんてやっぱり文化人類学者ってフレキシブルだと嬉しくなった(ごめんなさい&ありがとうございました!)。うさぎ屋(ここのヒラヤーチーは絶品!)にはマイミクのせりぽこママさんとせりぽこちゃんもいらっしゃって、すごーく楽しい宴となった。その後「ペンションへのこ」に帰り朝まで沖縄のことや研究のことを語り合った。

 24日は家の近くの沖縄県公文書館で「米国における政府公文書へのアクセスの保証:米国国立公文書館・記録管理庁(NARA)の役割」という講演を聞きに行った。市民と権利と情報と国家との間に微妙な感じで浮遊する公文書にどうアクセスしてどう利用するか、叩けば埃の出るアメリカだけど、こういうことをやるのはやっぱり自由や民主主義を生かそうとしている結果であり、まだまだ不十分だけど国民に政治させない幼稚な日本とは違ってる。アメリカのいい一面を久しぶりに見てちょっと嬉しくなると同時に、沖縄公文書館のすごさを再認識できる良いチャンスだった。

 会場ではこの前、著書の「沖縄はもうだまされない」をプレゼントしてくれた、現在アメリカでジュゴン訴訟をやっている建築家の真喜志好一さん(佐喜眞美術館などを作った超クールな建設親方!)とか、琉球大学時代にお世話になったジェンキンス先生(久しぶりのイギリス英語に胸がキュンとなりました!)とか、フラシスターとか、マイミクのsanpinchaさんとかカマドゥさんとかに会えたので、ほーんと行って良かった。小さい沖縄だからこうやって外に出れば色んな人と再会したり誰かと繋がったりするんだってことを確認できて良かった。論文執筆中は出不精になりがちだけど少しは家から出るようにしよう。

 お盆(ちなみに沖縄は旧暦で盆をやるので本土とは日付が異なる、今年は25-27だった)は怒涛の三日間だったので詳細は省くけども、こんなこと毎年やるなんて沖縄女性は本当に大変。男性陣とご先祖様は座って酒を飲んでいればいいんだから楽なもの。でも、せめて準備と片付けは男女協力して一家総出でやるようにしないと、早くて2世代後には消滅するだろうな、この風習。盆は仏教、仏壇は儒教、トートーメーは祖先崇拝、と、なにがなんだか分からないけどとりあえずトラディショナルで一大事の「お盆」。盆でもないのにエイサーエイサーを踊るこのご時世、ないちゃーうけする文化だけが生き残るプチグローバリゼーションに悶えるポストコロニアル社会を目の当たりにして「どうなる沖縄?」と思ったり思わなかったり。
 
 今年のお盆は実はおばーちゃんにはもっと兄弟がいたとか、戦時中サイパンの神様に助けられたとかなんとか、今まで知らなかったことが沢山分かって面白かった。ウンケージューシーも三枚肉もミミガーの和え物も美味しかったから良かった(3キロくらい太ったと思う)。とりあえず無事に年中行事が終了して良かった良かった!

 そんなこんなです、猫の手も借りたいくらい忙しいけどのんびりやってます。論文完成までもう少し!頑張らないとなぁ!




Posted by shinakosan at 17:35│Comments(2)
この記事へのコメント
shinakosann忙しそうだねっ。沖縄・辺野古のジュゴン、映画ファインディング・ニモにもでてくるクマノミ、サンゴ、海の生き物たちを救うために9月26日締切りの緊急サイバーアクションにひとりでも多くの人が参加してもらえるように
協力おねがいします! (私のブログにもはりつけていますが、英語ではGPのUSAもアクションしています。)

ご参加はこちらから。多くの携帯電話(DoCoMo, au, SoftBank)からも
参加が可能です。
https://www.greenpeace.or.jp/ssl/oceans/cyberaction/dugong/?gv
Posted by あずーる at 2007年09月17日 01:25
了解ですー!
Posted by shinakosan at 2007年09月17日 14:22
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